タシール知事暗殺事件

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タシール知事暗殺事件(タシールちじあんさつじけん)は、2011年1月4日パキスタンパンジャブ州サルマン・タシール英語版知事が暗殺された事件。

概要[編集]

2011年1月4日午後、パキスタンの首都イスラマバードに隣接するラーワルピンディーで、パンジャブ州知事のサルマン・タシール知事を、自身の警護官ムムターズ・カドリが自動小銃で多数の銃弾を放って殺害した。知事は、食事をとって車に戻るところだった。

容疑者[編集]

容疑者は26歳(事件当時)の警察官。「熱狂的なイスラム教徒」とみなされ、要人警護には不向きであるとの声が警察内にあったが、州知事の警護も担当していた。

イスラム教への冒瀆罪[編集]

タシール知事は、預言者ムハンマドを冒涜したとして前年2009年6月に告発された女性キリスト教徒アーシア・ビビを支援し、イスラム教への冒瀆罪を批判していた(アーシア・ビビ事件)[1]。これが容疑者による暗殺の動機の1つになったとされる。容疑者は暗殺時に「神は偉大なり」と叫んだ。また、容疑者は取調に対して、知事が神を冒涜した報いである旨述べた。知事はイスラム教徒だが、世俗主義を採る人民党内のリベラル派とされていた。

容疑者を英雄視する動き[編集]

パキスタンで、容疑者を英雄視する動きがある。容疑者逮捕の翌日、容疑者が裁判所に移送される際には、弁護士ら約200人が花を浴びせたり頬に口づけするなどした。イスラム教指導者のグループも賞賛する声明を出した。容疑者釈放を求めるデモも起きた。イスラマバード弁護士協会は、協会として容疑者を弁護する方針を表明し、暗殺された知事を擁護する弁護士は会員資格を失うとした。

国際的影響[編集]

アメリカは、この事件による宗教勢力の影響増大を警戒している。同国のバイデン副大統領はパキスタンを2011年1月に訪問した際、正当化できない旨を強調した。

処刑[編集]

ムムターズ・カドリは死刑判決を受け、2016年2月29日、処刑された[2]

脚注[編集]

参考文献[編集]

2011年1月27日の朝日新聞朝刊11面

関連項目[編集]