スールジー・アンジャンガーオン条約

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スールジー・アンジャンガーオン条約(スールジー・アンジャンガーオンじょうやく、英語:Treaty of Surji-Anjangaon)は、1803年12月30日インドスールジー・アンジャンガーオンにおいて、イギリス東インド会社マラーター同盟シンディア家との間で締結された講和条約。駐在官の配置や外交上における制限も含まれることから、軍事保護条約とみることもできる。

概要[編集]

第二次マラーター戦争中、シンディア家イギリスにより甚大な損害を被り、1803年12月17日ナーグプルのボーンスレー家デーオガーオン条約を結ぶと、同月30日にシンディア家も講和を結んだ。

シンディア家はこの条約で、 デリーアーグラ地域 、ドアーブ地方ガンジスヤムナー川にはさまれた地域)の北半分(上ドアーブ)、ジャイプル王国以北のラージャスターン地方ブンデールカンド地方の一部、グジャラート地方の一部、デカン地方アフマドナガルを割譲した[1][2][3]

シンディア家の外交権に関しては、マラーター王国宰相ペーシュワー)と争いにおいてイギリスが仲裁する条項が含まれるなど、外交上の制約を受けることとなった[4]。また、イギリスの駐在官および軍隊をグワーリヤルに受け入れることを了承させられた。

この条約の締結により、第二次マラーター戦争はイギリスとホールカル家との単独の戦いに持ち込まれた。

脚注[編集]

  1. ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.281
  2. ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.285
  3. ^ The dispatches of Field Marshal the Duke of Wellington, K. G ..., Volume 1 By Arthur Wellesley Wellington (Duke of). p. 571. https://books.google.co.in/books?id=MHEDAAAAYAAJ&pg=RA1-PA558&dq=Berar+province&lr=&as_brr=1&cd=16#v=onepage&q=Berar%20province&f=false 2010年2月4日閲覧。 
  4. ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、pp.289-290

参考文献[編集]

  • 辛島昇『新版 世界各国史7 南アジア史』山川出版社、2004年。 
  • 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年。 

関連項目[編集]