ステファノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ケルン大聖堂のステンドグラス「聖ステファノの殉教」
「聖ステファノ」
その名前が明らかにギリシャ風であることからも分かるように、初代教会において、彼はヘレニストの代表であった。彼はファリサイ派によって石打ちの刑にされるが、ジャン・ダニエルーはこの殉教の裏側にキリスト教内部のヘレニストとヘブライストの立場の違いを見ている[1]。図はイタリアバロックボローニャ派に属するジャコモ・カヴェドーネ (en:Giacomo Cavedone) の作品

ステファノは、新約聖書の『使徒行伝』に登場するユダヤ人キリスト教徒35年または36年頃没)。キリスト教における最初の殉教者、すなわち信仰のために自らの命を犠牲にする者であったとされている。ラテン語ではステファヌスギリシャ語ではステファノスないしはステパノスとも表記する。日本ハリストス正教会正教会)では致命者首輔祭聖ステファンと呼ばれている。

記憶日(記念日)は8月3日および12月26日。8月3日は、彼の遺体がホノリウス帝の治下で発見された日であるとされる。

事績[編集]

ステファノはギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト、ユダヤ系ギリシア人)であった。初代教会においてヘブライ語=ユダヤ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)とヘレニストの間に摩擦が生じたため、問題解決のために使徒たちによって選ばれた7人(他にプロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナニコラオフィリポ)の一人である。なお、この7人の選定を、キリスト教では伝統的に聖職位階の一つである助祭輔祭)職の選定とみなしている。

ステファノは天使のような顔を持ち、「不思議な業としるし」によって人々をひきつけたため、これをよく思わない人々によって訴えられ、最高法院に引き立てられた。そこでもステファノはユダヤ人の歴史を引き合いにしながら「神殿偏重に陥っている」とユダヤ教を批判したため、石打ちの刑に処せられた。この場にサウロ(後のパウロ)が立ち会っていたという。

ステファノの崇敬[編集]

ステファノの墓が公式に定められたのは415年である。これはエルサレムの北部、郊外にあって、多くの巡礼を集めた。

西方キリスト教では12月26日が特に「ステファノの日」と呼ばれる。アイルランドイタリアオーストリアクロアチアフィンランドで公休日である。またルーマニアでは12月27日がステファンの日として公休日となる。スペインでは、カタロニア州限定ではあるが、ステファンの日「サン・エステーベ」は銀行休日である。フランスではアルザス地域圏モゼル県で、「サンテチエンヌ」として銀行休日となる。

異形[編集]

ステファノは最初の殉教者として崇敬され、キリスト教国では広く洗礼名として用いられる。

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • ジャン・ダニエルー 『初代教会』1、上智大学中世思想研究所訳、平凡社〈平凡社ライブラリー, 163 . キリスト教史〉、1996年ISBN 4582761631

関連項目[編集]