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スティーブン・ブラッドバリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スティーブン・ブラッドバリー
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
誕生日 (1973-10-14) 1973年10月14日(52歳)
出身地 ニューサウスウェールズ州シドニー
獲得メダル
男子スピードスケート
獲得メダル
オーストラリアの旗 オーストラリア
男子 ショートトラック
オリンピック
1994 リレハンメル男子 5000mリレー
2002 ソルトレークシティ男子 1000m
世界選手権
1991 シドニー男子 5000mリレー
1993 北京男子 5000mリレー
1994 ギルドフォード男子 5000mリレー

スティーブン・ブラッドバリーSteven Bradbury , 1973年10月14日[1][2] - )は、オーストラリアニューサウスウェールズ州シドニーのカムデン出身の元男子スピードスケートショートトラック)選手。

2002年に開催された2002年ソルトレークシティオリンピックの男子・ショートトラックスピードスケート1000mにおいて、数々の幸運な出来事の末に優勝を果たし金メダルを獲得したことで有名である[3][4]。これは冬季オリンピックにおけるオーストラリア初そして南半球初の金メダルである。

経歴

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ソルトレークシティ五輪まで

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ブラッドバリーは、1991年にシドニーで行われた世界ショートトラックスピードスケート選手権大会の5000mリレーで金メダルを獲得した[2]。これは、オーストラリアがウィンタースポーツ世界選手権で獲得した初めての金メダルであった。世界チャンピオンとなったオーストラリアチームは1992年アルベールビルオリンピックに出場したが、準決勝で敗れた。ブラッドバリーも、チームの補欠選手であり個人種目にも出場は果たせなかった。1993年の世界ショートトラックスピードスケート選手権大会では銅メダルを獲得している[5]

1994年リレハンメルオリンピックではショートトラック男子5000mリレーオーストラリア代表の一員として初出場を果たし[1]、準決勝では2位となり決勝に進出、決勝で3位となり銅メダルを獲得[2]、オーストラリア初の冬季オリンピック・メダリストとなった[5]。個人500mでは準決勝で敗れ、5〜8位決定戦で4位となり8位となった。1000mでは他の選手からも妨害され、結局24位に終わった。

1998年長野オリンピックでもリレーに出場したが8位、個人500m、1000mではそれぞれ19位、21位に終わった。

2002年ソルトレークシティオリンピックでブラッドバリーはショートトラック1000mに出場し、金メダルを獲得した[3]。これは南半球の国では冬季オリンピックでの初の金メダルである[4]。またショートトラック500m、1500mはそれぞれ個人14位、10位だった。

金メダル獲得までの経緯

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1回戦は、幸運にも同じ組の対戦相手にブラッドバリーよりも飛び抜けて速い選手がいなかったため接戦となり、ブラッドバリーが混戦を制して1位でゴールし準々決勝に進出した。

準々決勝は、アメリカのアポロ・アントン・オーノなど優勝候補らと同じ組となった。ブラッドバリーも後述の通り、先行逃げ切りを図るも体力が尽きてしまい、レース中盤から最下位(4位)に後退し追走する状況となったが、最終コーナー直前、日本の田村直也とカナダのマーク・ガニヨン英語版が接触し、田村がコーナーの外側に大きくコースアウトして壁にぶつかり転倒したため、3位でゴールした。準々決勝では上位2人しか準決勝に進出できないため、本来ならブラッドバリーがここで敗退するところであった。ところが、審判がガニヨンと田村の接触について「ガニヨンが田村を妨害した」と判断し、2位でゴールしていたガニヨンが失格となった。そのため、繰り上がりでブラッドバリーが2位となり準決勝に進出した(田村も救済措置で準決勝に進出している)。後にブラッドバリーは、「あの時(準々決勝で)は先行逃げ切りを図ったけど、最後にバテてしまい他のみんなに置いてかれたんだ。」と語っている。

準決勝では、スタートから優勝候補たちの先頭集団に遅れを取り、終始最下位(5位)で追走するレース展開になったが残り半周付近で韓国の金東聖が転倒し、さらに最終コーナーを曲がり終える直前には中国の李佳軍とカナダのマシュー・ターコット英語版がそれぞれ転倒した。ゴール直前に計3人が転倒したことにより、ブラッドバリーも2位でゴールした。さらにその後の審議で、1位でゴールしていた日本の寺尾悟が「ターコットを妨害して李も巻き込んで転倒させた」と判断され失格となったため、ブラッドバリーも結果1位となったため決勝に進出した。

決勝では、準決勝よりも大きく先頭集団に遅れを取り、再度スタートからレースの終盤まで最下位(5位)で追走する状況となり、後にブラッドバリーは「決勝では体が痛く、到底あのようなペースにはついていけなかったよ」と語っていた。しかし、ゴール直前の最終コーナーで前を走っていた4人の選手(オーノ、安賢洙、李佳軍、ターコット)が互いに接触し合い全員転倒したため、一人後方に居て難を逃れたブラッドバリーが転倒した4人を抜き、1位でゴールした。準々決勝以降、ブラッドバリーの前を走る選手がゴール直前で次々と転倒したり、あるいはブラッドバリーより先にゴールした選手が失格になったりするなど幾多の偶然と幸運が重なったことにより、ブラッドバリーは衝撃の金メダルを掴み取ることとなったのであった。なお、転倒したオーノとターコットはいち早く体勢を立て直したものの、脇を悠然とすり抜けるブラッドバリーには追いつけず、スライディングで足からゴールして2位・3位となった[6]

金メダル獲得後

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金メダルを獲得したあとのインタビューでブラッドバリーは、「金メダルは1分半のこのレースで与えられたとは思っていない。10年間の苦労に対して天が与えてくれたと思うよ。」と語った[4]。また、リップサービスとして「実は先頭集団のアクシデントを期待していた。そうしたら、本当に思わぬ事が起こったんだ。作戦通りだったね。」と語り取材陣の笑いを誘った。

ブラッドバリーの「苦闘」には、2つの命の危険のあった事故を乗り越えてきたことを含んでいる。1つは1994年のモントリオールでのレースで、ブラッドバリーも転倒の際に、他の選手のスケートの刃によって足を切ってしまった事で4リットルの血液を失い、111針を縫う怪我を負った[2][4][7]。もう1つは、2000年9月にトレーニング中のアクシデントで首の骨を折り、以後6週間、ヘイロー装具(首を固定する医療機器)をつけて過ごすことになった出来事であった[2]

南半球では初めてとなる冬季五輪金メダルを獲得したため、オーストラリアではブラッドバリーのその功績を称えオーストラリア郵便公社から切手が発行され、パレードも行われ[4]、2005年には自伝を出版した[8]

オリンピック史上最高のラッキーボーイとして特集され、その際にインタビューにも答えており、メダリストとなったことで何が変わったかという質問には「とても有名になったよ。」と答えていた。

その後、ブラッドバリーは競技からの引退を表明し、2006年トリノオリンピックには出場しなかったがオーストラリアのチームリーダー、テレビ解説者として参加した。

引退後はフォーミュラ・Veeなどモータースポーツに参戦した[9]

現在はクイーンズランド州に在住し、南半球初の冬季五輪金メダリストとして講演会を実施している[10][11]

2022年3月、趣味のサーフィンを息子と行っていた際、離岸流にさらわれた人を発見。すぐさま救助に駆け寄って計4名の人命救助を行ったことが[10]、オーストラリア政府に表彰された[12]

その他

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金メダルを獲得するまでの経緯が上記のような勝ち上がり方だったため、オーストラリアの俗語として「漁夫の利を得る」「棚ぼたの勝利」「意図しなかったり普通では考えられない成功をなす」という意味で「ブラッドバリーする("do a Bradbury")」という言葉が生まれた[13][14]

この金メダル獲得劇は、日本でも多くの番組にも取り上げられ、「世界一ラッキーな男」として紹介された[15]。また、オリンピックの公式サイトでも、「たなぼたの金」として取り上げられている[3]

前述の経緯でソルトレークシティオリンピックショートトラック1000m1回戦・準々決勝を勝ち上がったブラッドバリーと共に準決勝にて同じ組になった寺尾悟によると、この「棚ぼたの勝利」が一因となり、勝負に大きく関わる転倒が起きれば、公平性の観点から、たとえゴール直前でもレースを一旦止めた上で再度やり直しにさせることが国際スケート連盟のガイドラインにより定められているため、この様な珍事は無くなったとしている[16]

自伝

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  • "Steven Bradbury: Last Man Standing" by Gary Smart and Steven Bradbury: ISBN 0975728784, 2005.

脚注

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  1. 1 2 Steven BRADBURY”. Olympics.com. 2021年7月27日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 Steven Bradbury”. IMDb. 2021年7月27日閲覧。
  3. 1 2 3 スティーブン・ブラッドバリーに“たなぼた”の金”. Olympics.com. 2021年7月24日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 世界一幸運な男【2002年 ソルトレークシティー】”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2017年12月26日). 2021年7月24日閲覧。
  5. 1 2 Steven Bradbury | Sport Australia Hall of Fame (英語). 2021年7月27日閲覧。
  6. ブラッドバリーの五輪における結果[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.ブラッドバリーの五輪における結果
  7. Rivals' bad luck or missteps prove golden for Aussie”. 2007年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月29日閲覧。
  8. ショートトラックの「世界一幸運な男」 ビリから金メダル→本も出版:朝日新聞”. 朝日新聞 (2022年2月4日). 2026年2月18日閲覧。
  9. Queensland — Formula Vee Australia”. web.archive.org (2009年10月18日). 2021年7月24日閲覧。
  10. 1 2 “‘Crazy’: Bradbury’s incredible surf rescue” (英語). news 2026年2月18日閲覧。
  11. Admin, G. C. C. (2018年10月25日). Steven Bradbury, Last Man Standing (英語). Glasshouse Christian College. 2026年2月18日閲覧。
  12. https://www.gg.gov.au/august-2023-bravery-list
  13. Radio National
  14. do a Bradburyの意味・使い方”. eow.alc.co.jp. 2021年7月24日閲覧。
  15. 2002年2月16日 「世界一ラッキーな男 スティーブン・ブラッドバリーが金メダルをとった日」 - ウェイバックマシン(2013年6月17日アーカイブ分)
  16. <教えて寺尾さん> (上)ショートトラック 「棚ぼた」勝利、また起こる?”. 中日新聞 (2022年1月16日). 2022年2月8日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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