ジョン・ホバート (第2代バッキンガムシャー伯爵)

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第2代バッキンガムシャー伯爵

第2代バッキンガムシャー伯爵ジョン・ホバート英語: John Hobart, 2nd Earl of Buckinghamshire1723年8月17日 - 1793年8月3日)は、イングランド貴族政治家

生涯[編集]

初代バッキンガムシャー伯爵ジョン・ホバートの最初の結婚による息子であり、ウェストミンスター・スクールを経て、ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジに学んだ[1]。襲爵前の1747年から1756年までノリッジ選挙区英語版選出の庶民院議員を務めた。[2]1747年には、セント・アイヴス選挙区英語版からも同時に選出されていたが、議会ではノリッジ選挙区選出として議席を占めた。

1756年には父の死去に伴って、バッキンガムシャー伯爵の爵位を継承した。[3]また同年に、王室会計監査官英語版に任命されたほか、1756年から1767年には侍従英語版を務めた。 この間、1762年から1765年にはロシア帝国在ロシアイギリス大使英語版として送られ、次いで1776年から1780年にかけて、リチャード・ヘロン英語版 アイルランド担当大臣英語版の在任期にアイルランド総督に就任している。[3][4]

総督在任中は、自由貿易や、ローマ・カトリック教徒やその他の非国教徒への抑圧軽減を、不承不承認めた。 1793年8月3日に没した。死後はノーフォーク州ブリッキングに埋葬された。[2][4]

家族[編集]

ジョン・ホバートは、ウィリアム・ジェームズ・コノリー (William James Conolly) の娘キャロライン (Caroline) と結婚したが、成人に達した男子の後継者は残さず、爵位は異母弟が継承した。[1][2]娘のハリエット(Harriet)は、第6代ロジアン侯爵ウィリアム・カーの妻となり、第7代ロージアン侯爵ジョン・カーの母となった。

脚注[編集]

註釈[編集]

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出典[編集]

  1. ^ a b "Hobart, John (HBRT739J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  2. ^ a b c Buckinghamshire, Earl of (GB, 1746)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
  3. ^ a b Kelly, James. "Hobart, John, second earl of Buckinghamshire". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/13394. (Subscription or UK public library membership required.)
  4. ^ a b Wikisource-logo.svg Chisholm, Hugh, ed. (1911). "BUCKINGHAMSHIRE, EARLS OF." . Encyclopædia Britannica (英語). 4 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 728.

参考文献[編集]

  • Concise Dictionary of National Biography
グレートブリテン議会英語版
先代:
トマス・ヴィアー
ホレーショ・ウォルポール
庶民院議員(ノリッチ選挙区
1747年 - 1756年
同職:ホレーショ・ウォルポール 1747年 - 1756年
エドワード・ベーコン英語版 1756年
次代:
ハーボード・ハーボード英語版
公職
先代:
ヒルズバラ伯爵
王室会計監査官
1756年
次代:
エッジカム男爵英語版
先代:
ハーコート伯爵
アイルランド総督
1776年 - 1780年
次代:
カーライル伯爵
宮廷職
先代:
新設
寝室侍従
1760年 - 1767年
次代:
ロクスバラ公爵英語版
外交職
先代:
ロバート・マレー・キース英語版
在ロシアイギリス大使
1762年 - 1764年
次代:
マカートニー伯爵
グレートブリテンの爵位
先代:
ジョン・ホバート
バッキンガムシャー伯爵
1756年 - 1793年
次代:
ジョージ・ホバート英語版