ジョン・チャールズ・オルムステッド

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ジョン・チャールズ・オルムステッド (John_Charles_Olmsted、1852〜1920年)は、 アメリカランドスケープアーキテクトフレデリック・ロー・オルムステッドの養子となった息子は、父親の会社で父親と弟のフレデリック・ロー・オルムステッド・ジュニアと仕事をしていく。 父親が引退した後、兄弟はリーダーシップを引き継ぎ、ランドスケープデザイン会社としてオルムステッド・ブラザーズを設立した。 同社は、多くの都市公園、大学のキャンパスおよびその他の公共の場所を設計することで有名に。 ランドスケープアーキテクトとしての40年以上にわたるジョンオルムステッドの作品は、アメリカの都市景観にその足跡を残していく。

経歴[編集]

ジョン・チャールズ・オルムステッドの肖像

ジョン・チャールズ・オルムステッドは、1852年にスイスのジュネーブでジョン・オルムステッドとメアリー・クリーブランド(パーキンス)・オルムステッドの間に生まれた。彼の父ジョンは結核にかかっていたが、当時は治療法がなく新鮮な空気と運動を含む健康的な生活が推奨されていた。 一部の療養所は山岳地帯に設立されていた。

ジョン・オルムステッド一家は米国に戻り、ニューヨークのスタテン島のトソモック農場に居住[1]。 父親が亡くなった後、母親はジョンの兄弟フレデリック・ロー・オルムステッドと再婚。 フレデリックはジョンを息子として籍に入れた。 後に彼とメアリーには、1870年生まれのオルムステッドジュニアができた。

ジョン・オルムステッドは、父親の会社でそのキャリアを開始。後に弟のフレデリックも加わる。父親が引退した後、2人はリーダーシップを引き継ぎ、Olmsted Brothersとして会社を設立。仕事は彼らはそれぞれいくつかのプロジェクトのために別々に契約していた。

オルムステッドは、メイン州ポートランドなどの都市での計画プロジェクトに、統合された公園システムの設計哲学を表明。オレゴン州ポートランド ; ワシントン 州シアトルおよびスポケーン オハイオ州デイトン、 サウスカロライナ州チャールストン といった これらの都市で、彼は市民の建物、道路、公園、 緑地を居住可能な都市部に統合するという包括的な計画哲学を開拓していく。

オルムステッドは、 ニューオーリンズの個々の公園設計も担当。 ニューヨーク州ウォータータウン ;イリノイ州シカゴ で 彼の公園設計の仕事は、学校のキャンパス、市民の建物、州都などの多くの機関の委託、および道路や学校を含む大規模な住宅地の設計にもつながっていく。 工業プラントと工場を取り巻くコミュニティの包括的な計画における彼の仕事は、特に注目に値すると考えられている。

オルムステッドは、彼のすべての作品において景色、眺望、緑道など、サイトの自然の美しさに対する感受性を保持し、コミュニティと公共エリアが快適で魅力的でなければならないこと、大きくて堂々とした構造よりも、自然主義的な設定で、控えめで非公式な面を理想とした。

彼の父親フレデリックは、 1893年のシカゴ万国博覧会の風景のデザインのアシスタントとして彼を起用。 [要出典] 若いオルムステッドは、オレゴン州ポートランドで開催された1906年のルイスアンドクラークセンテニアル博覧会 、および1909年のアラスカ-ユーコン-太平洋博覧会の主要な責任を負っていたという。

ジョン・オルムステッドは1899年、アメリカ造園家協会の創設メンバーであり初代会長である。

おもな作品[編集]

参照[編集]

  1. ^ Witold Rybczynski (1999). A Clearing in the Distance: Frederick Law Olmsted and America in the Nineteenth Century. Scribner: New York, p.124.
  2. ^ Grounds Archived 2006-09-27 at the Wayback Machine. at www.ga.wa.gov

外部リンク[編集]