ジョイス・バンダ

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ジョイス・バンダ
Joyce Banda

ジョイス・バンダ(2013年3月)

任期 2012年4月7日2014年5月31日

任期 2009年5月29日2012年4月7日
元首 ビング・ワ・ムタリカ

マラウイの旗 マラウイ
外務大臣
任期 2006年6月1日2009年5月29日
元首 ビング・ワ・ムタリカ

出生 (1950-04-12) 1950年4月12日(74歳)
ニヤサランドゾンバ県マレミア村
政党 統一民主戦線)→(民主進歩党)→
人民党英語版
配偶者 ロイ・カチャレ
リチャード・バンダ

ジョイス・ヒルダ・バンダ英語: Joyce Hilda Banda、1950年4月12日 - )は、マラウイ政治家。2009年5月より同国初の女性副大統領を務め、2012年4月にビング・ワ・ムタリカ大統領の死去に伴い大統領に昇格。同国初の女性元首となった。

経歴[編集]

1950年4月12日にゾンバ県のマレミア村(Malemia village)に生まれた[1][2]。ゾンバおよびマロサ選挙区選出の国民議会議員であり、女性青年地域社会サービス省大臣や、ビング・ワ・ムタリカ大統領の下で2006年6月1日から外務大臣を務めた後、2009年5月に副大統領となった。

一方、マラウイビジネス女性協会(National Association of Business Women:NABW)の設立者であり、1997年にはモザンビークジョアキン・アルベルト・シサノ大統領と共同で、ニューヨークに本部を置くNGOハンガープロジェクトから、持続可能な飢餓撲滅のためのアフリカ賞(Africa Prize for the Sustainable End of Hunger)を受賞したほか、ジョイス・バンダ財団(Joyce Banda Foundation)の設立者としても知られ、ブランタイヤChimwankhunda地域を中心とした孤児の支援や、初等および中等教育への普及に力を注いでいる[3]

副大統領、大統領へ[編集]

2009年度のマラウイ総選挙においてバンダは、大統領候補のムタリカとともに民主進歩党 (DPP) から副大統領候補として出馬し、当選した[4][5]。しかしムタリカとは対立するようになり、2010年に民主進歩党より追放されている[6]。2012年4月5日にムタリカが心臓発作で死去したため、憲法上の規定により4月7日に大統領に昇格した[7][8]

2014年5月31日に大統領を退任した。

2017年7月31日、マラウイ警察当局は2013年に発覚した国庫金の大規模横領事件に絡み、バンダの逮捕状を取った。現在はアメリカに滞在しているとされており、広報担当者を通じて疑惑への関与を否定している[9]

人物[編集]

2013年、日本の横浜市で開かれた第5回アフリカ開発会議で、国連人口基金が主催したイベント、「妊産婦の健康に対する投資の効果」において、自身が出産した際に、出血多量で命を落としかけた体験を明かし、少女への教育投資、女性の政治参加や、コミュニティーの長老など男性が、この問題に関心を深める必要があると提案した[10]

脚注・参考資料[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代
ビング・ワ・ムタリカ
マラウイの旗 マラウイ共和国大統領
第4代:2012年 - 2014年
次代
ピーター・ムタリカ
先代
カシム・チルムファ英語版
マラウイの旗 マラウイ共和国副大統領
2009年 - 2012年
次代
クンボ・カチャリ英語版
先代
ジョージ・チャポンダ英語版
マラウイの旗 マラウイ共和国外務大臣
2006年 - 2009年
次代
エッタ・バンダ英語版