ジャン・ウジェーヌ・ロベール=ウーダン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ロベール・ウーダン

ジャン・ウジェーヌ・ロベール=ウーダンJean Eugène Robert-Houdin, 1805年12月7日 - 1871年6月13日)は、フランス人のプロマジシャン

概要[編集]

1805年フランスブロワ生まれ。 出生時の名前はジャン・ウジェーヌ・ロベールであり、ウーダンの姓は結婚後に妻から貰ったものである[1]。 青年期は家業である時計職人として機械装置に精通し、いくつかの精巧な自動人形を作成した。

40歳のとき、かねてから憧れていたマジシャンへ転身。1845年パリでデビュー。プロデビュー後は古くからあるマジックに加え、元時計職人ならではの新技術に基づいた数々のオリジナルマジックで人気を博した[1]。それらは現代においても、行われているものもある。

このときウーダンは、夜会服(燕尾服)といった正装を着用。また明るい照明を使用したことなどで、それまでのマジックに対する「黒魔術的な」イメージを払拭した。この革命的な演出形態は、たちまち世界中へと広がり、夜会服(燕尾服)にシルクハットは「マジシャンの代名詞」となった。このことからウーダンは、しばしば「近代奇術の父」と呼ばれる。また、「マジシャンとは魔法使いを演じる役者である」という名言を残した[2]

アルジェリアのマジック対決[編集]

1850年代フランス領アルジェリアでは、イスラム教の一派である聖者崇拝思想(マラブーティズム)勢力が大道芸的な「奇跡」を見せる事で大衆を扇動し、武装蜂起寸前の状態となっていた。フランス政府は軍事的に対応するよりも、マラブーが見せるトリックが見劣りするような腕前を持つマジシャンを送り込み、マジック対決を行うことが良策と考えた[1]

1856年にウーダンは政府からの要請でアルジェリアに渡り、当地の有力者や一般客が集う中、電磁気を利用した最新のステージマジックを披露した。観客はウーダンのマジックに魅了されたが、その中のひとりである有力シャイフボウ・アレムはウーダンを自宅に招き、特別公演を依頼した。ウーダンはシャイフの部下たちの前でマジックを披露し喝采を受けたが、屈辱を感じたシャイフ配下のマラブーはウーダンは詐欺師であると非難し、銃による決闘を申し込んだ。ウーダンはこれを受諾したが、決闘用の弾を偽の弾丸にすり替えるため、口実を付けて決闘を翌日に引き延ばした。翌日、決闘の場でマラブーの放った弾丸を歯で咥えて受け止める弾丸受け止め術を披露し、マラブーに敗北感を与える事に成功した[1]。一連のマジック対決によって影響力の低下を悟ったマラブーは蜂起を断念し、ウーダンは褒賞として装飾を施した巻物を贈られた。帰国後、引退したウーダンは記憶を頼りにアルジェリア旅行記を著した。

このエピソードは中島らもの小説「空のオルゴール」や日本で公開された映画『トリック劇場版』でも語られたが、つくり話だとも考えられている[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d レヴィ 2008, pp. 207-211.
  2. ^ 松田道弘 『マジック大全』 東京堂出版、2003年、158頁。
  3. ^ 松田道弘『トリックスター列伝―近代マジック小史』東京堂出版、2008年、164頁。ISBN 978-4490206494

参考文献[編集]

  • 前川道介 『アブラカダブラ 奇術の世界史』 白水社、1991年、93頁。
  • ジョエル・レヴィ 『世界陰謀史事典』 下隆全訳、柏書房、2008年ISBN 9784760133772

関連項目[編集]