サニー・ボーイ・ウィリアムソンII
サニー・ボーイ・ウィリアムソン Sonny Boy Williamson II | |
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出生名 | Aleck Miller |
別名 |
Rice Miller Little Boy Blue |
生誕 | 1912年12月5日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ミシシッピ州グレンドーラ |
死没 |
1965年5月25日(52歳没) 米国アーカンソー州ヘレナ |
ジャンル | ブルース |
職業 | ミュージシャン、歌手 |
担当楽器 | ボーカル、ハーモニカ |
活動期間 | 1941年 - 1965年 |
レーベル |
トランペット・レコード チェッカー・レコード |
共同作業者 |
ロバート・ロックウッド・ジュニア エルモア・ジェームス |
サニー・ボーイ・ウィリアムソン(Sonny Boy Williamson II、1912年12月5日 - 1965年5月25日) は、米国ミシシッピ州出身のブルース・シンガー、ブルース・ハーモニカ奏者。本名は、アレック・ミラー。晩年の1950年代から60年代にかけて、チェス・レコード傘下のチェッカー・レコードから数多くの作品を生み、シカゴ・ブルースの歴史に大きな足跡を残した。
芸名の末尾にII(あるいはII世)が付けられることがあるが、これは先に同じ芸名を名乗っていたジョン・リー・ウィリアムソンと区別するため。一方のジョン・リーはサニー・ボーイI(あるいはI世)と称される。両者に血縁関係があるわけではなく、I世の成功にあやかりたいII世が無断で芸名を拝借したものである。皮肉なことに結果的にII世はI世を凌ぐ成功を収めた。
来歴
[編集]ウィリアムソンの生年月日は1899年12月5日とする資料が比較的多いが、1897年、1901年、1909年など諸説があり、正確なところは判っていない[1]。墓碑には1908年と記されている。しかし国勢調査や姉妹の証言から、現在は1912年が定説となっている[2]。
生まれたのは、ミシシッピ州グレンドーラ近郊のプランテーションであった。彼の幼少期については、多くが謎に包まれている。本名ひとつとってもラスト・ネームを「フォード」とする説と「ミラー」とする説があるなど、決定的な情報はない[3]。独学でハーモニカを学び、他にギター、ドラムスも学んだという[4]。
1930年代頃から、ミシシッピ州とアーカンソー州を一帯を放浪し、その過程でエルモア・ジェームス、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ロバート・ロックウッド・ジュニアらブルースマンと出会う。当時彼は、リトル・ボーイ・ブルーという芸名で活動していた[3]。
1941年、アーカンソー州ヘレナのラジオ局KFFAで始まったブルース番組「キング・ビスケット・タイム」にロックウッドとともに出演するようになった。彼がサニー・ボーイを名乗り出したのはこの頃であり、番組のスポンサーだったインターステート・グロサリーのオーナー、マックス・ムーアは彼がその名前を使うことを提案したと主張している[5]。レコードは出していなかったが、この番組出演により南部一帯でサニー・ボーイの人気は高まっていく。
番組のリスナーの中には後にザ・バンドのドラマーとして活躍するリヴォン・ヘルムもいた。彼は自叙伝の中で、当時のウイリアムソンについて以下のように述べている[6]。
「 | オーバーオールに麦わら帽をかぶった、じかに見るサニー・ボーイは、迫力に満ちた印象的な人物であった。分厚い唇は長年ハーモニカを吹いてきたせいで硬くなっていた。ぼくは彼がハーモニカに向かって歌っているのに気づいた。彼の声は金属製のハーモニカを通って、剃刀の刃のように研ぎすまされてから、マイクに到達する。それが歌に、特別な金属的な衝撃のエネルギーをくわえる。 | 」 |
1951年、ウィリアムソンはミシシッピ州ジャクソンのトランペット・レコードで初レコーディングを行う。エルモア・ジェームスらをバックに、ブギ・ナンバーを中心としたサウンドを披露している。
1955年、シカゴのチェス・レコード傘下のチェッカー・レコードと契約。この頃から拠点も南部からシカゴへ移している。同年、チェッカーにおける初セッションでレコーディングされた「Don't Start Me To Talkin'」がR&Bチャートの3位を記録する。その後も「Keep It To Yourself」(1956年、同16位)、「Help Me」(1963年、同24位)とヒットを生んでいる[7]。チェッカーでのウィリアムソンはトランペット時代よりもぐっとモダンなサウンドとなり、また彼のハーモニカのプレイは、シカゴ・ブルースにおける基本形として、多くの後続プレイヤーに影響を与えた。
1963年には、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル出演のため、初めてのヨーロッパ・ツアーを行った。1964年にも再度同フェスティバルに出演した。この間、ウィリアムソンはイギリスでアニマルズ、ヤードバーズ、ジミー・ペイジとレコーディングを行っている。またデンマークではローランド・カークのコペンハーゲン公演に飛び入り参加。その模様はカークのライヴ盤『カーク・イン・コペンハーゲン』に記録されている(同アルバムのクレジットでは"Big Skol"名義[8])。
1965年5月25日、再びキング・ビスケット・タイムに出演するためヘレナに戻っていたウィリアムソンは、心臓発作により他界した。亡くなった直後にアルバム『リアル・フォーク・ブルース』が発表された。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]- 『ダウン・アンド・アウト・ブルース』 - Down And Out Blues (1959年、Chess)
- 『ポートレイト・オブ・サニー・ボーイ・ウィリアムスン』 - A Portrait in Blues (1963年)
- The Blues of Sonny Boy Williamson (1963年)
- 『ライブ』 - Sonny Boy Williamson and Memphis Slim (1964年)
- 『サニー・ボーイ・ウィリアムソン&ザ・ヤードバーズ』 - Sonny Boy Williamson and the Yardbirds (1966年、Fontana) ※with ヤードバーズ
- 『リアル・フォーク・ブルース』 - The Real Folk Blues (1965年、Chess)
- 『ジミー・ペイジ&ソニー・ボーイ・ウィリアムソン』 - Don't Send Me No Flowers (1966年、Charly) ※with ブライアン・オーガー・アンド・ザ・トリニティー、ジミー・ペイジ
- 『モア・リアル・フォーク・ブルース』 - More Real Folk Blues (1967年、Chess)
- 『バマー・ロード』 - Bummer Road (1969年、Chess)
- 『ソニー・ボーイ・ウィリアムソン&アニマルズ』 - Sonny Boy Williamson + Animals (1972年)
コンピレーション・アルバム
[編集]- In Memoriam (1965年) ※1966年に『The Real Folk Blues』として再発あり
- 『キング・ビスケット・タイム』 - Blues Classics by "The Original" Sonny Boy Williamson (1965年) ※『King Biscuit Time』として再発あり
- 『ワン・ウェイ・アウト』 - One Way Out (1968年、Chess)
- This Is My Story (1972年)
- Keep It To Ourselves (1990年、Alligator)
- The Essential Sonny Boy Williamson (1993年、MCA/Chess)
シングル / EP
[編集]- "Cool, Cool Blues" / "Do It if You Wanta" (1951年、Trumpet Records)
- "Crazy 'Bout You, Baby" / "Eyesight to the Blind" (1951年、Trumpet)
- "Pontiac Blues" / "Sonny Boy's Christmas Blues" (1951年、Trumpet)
- "Mighty Long Time" / "Nine Below Zero" (1951年、Trumpet)
- "Going in Your Direction" / "Red Hot Kisses" (1954年、Trumpet)
- "Don't Start Me Talkin'"/ "All My Love in Vain" (1955年、Checker Records)
- "Keep It to Yourself" / "The Key (To Your Door)" (1956年、Checker)
- "Let Me Explain" / "Your Imagination" (1956年、Checker)
- "No Nights by Myself" / "Boppin' with Sonny" (1956年、Ace Records)
- "Fattening Frogs for Snakes" / "I Don't Know" (1957年、Checker)
- "Cross My Heart" / "Dissatisfied'" (1958年、Checker)
- "Born Blind" / "Ninety-Nine" (1958年、Checker)
- "Your Funeral and My Trial" / "Wake Up Baby" (1958年、Checker)
- "Let Your Conscience Be Your Guide" / "Unseeing Eye" (1959年、Checker)
- "Temperature 110" / "Lonesome Cabin" (1960年、Checker)
- "Trust My Baby" / "Too Close Together" (1960年、Checker)
- "The Goat" / "It's Sad to Be Alone" (1960年、Checker)
- "Stop Right Now" / "The Hunt" (1961年、Checker)
- "The Hunt" / "Little Village" (1961年、Checker)
- "One Way Out" / "Nine Below Zero" (1962年、Checker)
- "Trying to Get Back on My Feet" / "Decoration Day" (1963年、Checker)
- "Bye Bye Bird" / "Help Me" (1963年、Checker)
- "My Younger Days" / "I Want You Close to Me" (1964年、Checker)
- "Bring It On Home" / "Down Child" (1965年、Checker)
- "Baby Let Me Come Back Home" / "November Boogie" / "All Nite Boogie" / "Leavin Blues" (1966年、Collectors Special Records EP)
サニー・ボーイ・ウィリアムソン・ヒズ・ハーモニカ・アンド・ハウスロッカーズ
[編集]シングル
- "Too Close Together" / "Cat Hop" (1953年、Trumpet Records)
- "Gettin' Out of Town" / "She Brought Life Back to the Dead" (1954年、Trumpet)
- "Empty Bedroom" / "From the Bottom" (1955年、Trumpet)
- "Mr. Downchild" / "Stop Now Baby" (1954年、Trumpet)
- "I Cross My Heart" / "West Memphis Blues" (1954年、Trumpet)
- "Come on Back Home" / "Stop Crying" (1954年、Trumpet)
- "From the Bottom" / "Empty Bedroom" (Blue Horizon Records)[9]
脚注
[編集]- ^ アルバム「Bummer Road」ライナーノーツ(ピート・ウェルディング、メアリー・キャスリン・アルディン著)
- ^ “Sonny Boy Williamson” (英語). The Mississippi Blues Trail. 2022年9月28日閲覧。
- ^ a b AllMusicのバイオ
- ^ アルバム「Down And Out Blues」ライナーノーツ(Don Kamerer著)
- ^ 「ディープ・ブルーズ」(ロバート・パーマー著、五十嵐正訳; JICC出版局刊)
- ^ This Wheel's on Fire: Levon Helm and the Story of the Band (Chicago Review Press)
- ^ Joel Whitburn's Top R&B Singles 1942-1988 (Record Research)
- ^ “Big Skol Discography”. Discogs. 2022年5月25日閲覧。
- ^ “Sonny Boy Williamson (2) Discography”. Discogs. 2015年9月6日閲覧。