サウス・レーシング

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2022年ダカールにて

サウス・レーシング有限会社South Racing GmbH)は、ドイツリュッセルスハイムのオフロードレーシング企業。

ドイツ、ポルトガル南アフリカドバイに拠点を持ち[1]Can-AmファクトリーチームとしてのSxS(サイド・バイ・サイド・ビークル)のレース運用、およびカスタマーとなるプライベーターチームへのマシン供給やアフターサービスを国際的に手掛ける。

経歴[編集]

グループT1での活動[編集]

2014年ルシオ・アルバレスのフォード・レンジャー

2013年設立[2]。創設者のスコット・エイブラハムは南アフリカ人で、マーケティングの学士号を取得した後に国内オフロード選手権の四輪選手としてもデビューしていた[3]。その後10年ほど欧州に拠点を置き、2003~2009年のX-raidのチームマネージャーを務めた。またオーバードライブ・レーシングでも2013年までチームマネージャーとしてトヨタのワークスプログラム開始に貢献した[4][5][6]。この時に会得した物流ノウハウは、後にサウス・レーシングの大きな強みとなる。

2014年に、1年前からダカール・ラリーにワークス参戦していたフォードと、その運用を務める南アフリカのNVM(ニール・ウーリッジ・モータースポーツ)と提携。サウス・レーシングはフォードの欧州の物流拠点となり、MAN[要曖昧さ回避]のサポートトラックやアシスタンストラック、機材の手配などを行った[4]

結果を残せないままフォードは2015年限りでワークス参戦から撤退してしまうが、サウス・レーシングはポルトガルのガレージで引き続きフォード・レンジャーを開発して参戦を継続した[5]

2017年はレンジャー1台とトヨタ・ハイラックスを2台、2018年はレンジャー2台の他にハイラックス、日産・ナバラフォルクスワーゲン・アマロックの各1台ずつ合計5台を運用した[7]

グループT3/T4での活躍[編集]

2022年優勝のポディウム

2017年5月、カナダのCan-Amと提携することを発表。Can-AmのスポーツSxS(サイド・バイ・サイド・ビークル)を開発・運用および世界中へこれを供給することになった[8]。UTV(T3)部門初参戦の2018年大会では2台のマーベリックX3を投入し、ブラジル人のベテラン、レイナルド・バレラのドライブにより、初年度で部門を制覇した[9]。これによりT3が四輪の下位クラスだった時代から連勝を重ねていたポラリス・エクストリームプラスの覇権に終止符を打った(2-3-4位がポラリス)。

2019年大会は7台を投入。モンスターエナジーがスポンサーに就き、バレラや砂漠レースのキング・オブ・ザ・ハンマーズで人気を博したアメリカ人のケイシー・カリーが、「モンスターエナジー・Can-Am」としてエントリーした[10]。またチリ人ライダーのフランシスコ・ロペス・コンタルドが加入したが、彼はレッドブル・アスリートであるため、スポンサーのバッティングを避けて通常のサウス・レーシングとしてエントリーした。Can-Amの本気を前にポラリスは撤退し、ヤマハ・YXZ1000Rとホンダ・テクストロンが僅かに残る程度で、Can-Am勢がフィールドの8割を占めた。ロペス・コンタルドが優勝し、モンスターエナジー勢も続いて1-2-3-4位を占める圧勝を収めた[2][11]。この年、ダカール・シリーズのメルズーガ・ラリー(モロッコ)ではナッサー・アル=アティヤもサウス・レーシングのCan-Am・X3をドライブし優勝している[12]

2020年大会ではMOTULとも提携[13]。 31台中29台がCan-Amだったこの年は、カリーがアメリカ人として初めて四輪系の部門で優勝した[14]

2021年大会からSxSはプロトタイプ(T3)と市販車(T4)の2部門に分けられた。この年はT4のみの参戦で、サウス・レーシングとして6台、モンスターエナジーとして4台、エナジーランディア・ラリーチームとして2台の合計12台のCan-Am・マーベリックを展開。サウス・レーシングは340本以上のホイールリムと520本のタイヤを含むスペアパーツの用意から、修理、レース戦略、旅行の手続き、理学療法、食事の手配など、あらゆるレースに関わる業務に携わる[15]。トラック・クワッド・バイクと幅広い部門で活躍するオランダの実業家キース・クレーン、ナッサー・アル=アティヤの弟ハリファ・アル=アティヤなどが加入した。エナジーランディアはポーランドのテーマパークで、所有者のマレク/ミハルのゴツァル兄弟による参戦である[16]。この年はロペス・コンタルドが勝利した。

2022年大会にはマティアス・エクストローム率いるEKSモータースポーツとのジョイント体制でT3マシンのマーベリックX3を開発し参戦[17]。これによりスウェーデン人セバスチャン・エリクソンが加入した。レッドブルの育成プログラムで優れた才能を集めるオーバードライブ・レーシングのOT3に速さで圧倒されるも、信頼性に優れるサウスレーシングのCan-Amは総合成績で上回り、ロペス・コンタルドが一度もステージ勝利せずに総合優勝を果たし、2位にもエリクソンが入って1-2を決めた。またT4でもアメリカ人のオースティン・ジョーンズが勝利して2部門を制した。この大会のためにサウス・レーシングは21台マシンを製造して160人のスタッフを現場に派遣し、大会最大規模のチームとなった[18]。この年開幕のW2RC(世界ラリーレイド選手権)でもT3でロペス・コンタルド、T4でリトアニアの新星ロカス・バチュスカが戴冠した[19]

2023年大会から、それまでオーバードライブと提携していたレッドブルの育成プログラムがサウス・レーシングと手を組むこととなり[20]、前大会で30年ぶりに一大会あたりステージ勝利数記録を更新したセス・キンテロ、女性ながら表彰台を獲得したクリスティーナ・グティエレス・エレーロがサウス・レーシングに加入。チームは「レッドブル・オフロード・ジュニア・チーム」となった。この大会でも終盤までOT3が首位を走るも自滅し、ジョーンズ-キンテロ-グティエレス・エレーロ-ロペス・コンタルドでそれぞれ1-2-4-5位を獲得して圧勝を収めた。ジョーンズは2部門を跨ぎながらの最年少部門連覇となった[21]。T4ではバチュスカが首位を快走したが、最終日でマシントラブルで20分を失い、悲劇の2位に終わっている。代わりにサウス・レーシングが運用するエナジーランディアのエリック・ゴツァルが史上最年少となる18歳での部門総合優勝を飾った[21]。Can-Amはダカールで6連勝を達成した直後、 サウス・レーシングは次世代人材(ドライバー・ナビ・エンジニア・物流専門家など)を育成するプログラム「Can-Amネクスト」の立ち上げを発表した[21]。W2RC終盤にエナジーランディア勢は、フランスのコンストラクターであるMCE-5ディベロップメントのT3車両へ乗り換えた。

余談[編集]

創設者エイブラハムの父アーサーは南アフリカのモータースポーツ界の重鎮だった[4]。1970年代にモータースポーツコーディネーターとなり、オフロード系競技を中心にモータースポーツイベントの振興や広報、スポンサー活動に尽力した。また世界耐久選手権IMSAなどに参戦するクリーピー・クラウリー・レース&ラリーチームの立ち上げ[22]や、南アフリカにおけるル・マン24時間はじめとするレース中継を扱う「ビデオスポーツ」社の設立なども行った。2005年に53歳で病により死去[23]

脚注[編集]

関連項目[編集]