コープオリンピア

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コープオリンピア(2010年)
歩道橋は2014年1月に撤去された
コープオリンピア(2015年)

コープオリンピア(Co-op Olympia)は、東京都渋谷区神宮前(いわゆる表参道)6丁目に建つ共同住宅である。

明治神宮および代々木公園原宿駅の至近にあって、黎明期における「高級マンション」の代表例として知られるほか[1]1965年(昭和40年)当時の分譲価格が最高で1億円を突破したことから、いわゆる「億ション」の第一号でもある[2]

概要[編集]

竣工時からエレベーター空調設備を完備するとともに、ホテルのようなフロントサービスを導入、当時考えられる技術・サービスとして最高水準のものを備えた、日本における「高級マンション」の元祖のひとつとされる[3]。売主は東京コープ株式会社で、1965年(昭和40年)当時の分譲価格は3,000万円から1億円超であった[2]

完成は1965年(昭和40年)3月であり、名称の「オリンピア」は、その前年に近隣の代々木体育館などを会場に開催された1964年東京オリンピックに因む[4]。所在地住所はかつて渋谷区穏田三丁目で、コープオリンピアが完成した1965年3月の住居表示施行によって現在の渋谷区神宮前6丁目に変わった。

コープオリンピア

明治神宮原宿駅のある台地上から明治通り・神宮前交差点に下る坂道に沿って建設されている建物は地上11階、地下2階建てで、延べ床面積は23,239平米である。住戸数は164戸で、各戸の占有面積は28 -215平米(平均79平米)[5]、隔階中廊下式のユニークな住戸ユニットが採用されており、メゾネット形式の活用によって、1ユニット9坪の区画が上下・左右・南北など様々に組み合わされ、多様な広さ、形式の住戸を実現している[1]。また、坂道を生かして、機械室や商業施設は地下や1階にもぐりこませてある[1]。敷地面積は約4,100平米[5]。需要層としては会社重役、自家営業者、自由業、高額所得者、親譲りの財産所有者が主な購入者であり、そのうちの大半が自家用車を所有していたことが挙げられる[6]

設計は清水建設によるもので、(1)並木道との調和を図って緑が映える外観とすること、(2)レストラン美容院など商業施設を併設し、建物自体に都市としての機能を盛り込むこと、(3)海外滞在経験などもある富裕層を満足させられる設備・仕様とすること、などを意図して設計された[1]

実際の建物の外観は暗色のタイルと銀色のアルミサッシという落ち着いた色合いで、街路樹)の緑を引き立たせている[1]。設備も当時としては画期的で、セントラル方式による全館24時間冷暖房、エレベーター4基、居住者専用の駐車場(約60台分)、さらに屋上には建築家、ル・コルビュジエによる集合住宅、ユニテ・ダビタシオンを模して、周囲を一望できるプールが設けられた[1]。また、高級マンションの先駆けとして、24時間体制のフロントサービスを採用、内廊下には赤絨毯が敷かれ、分譲時には購入者が水周りの器具、カーペット壁紙の色や模様などを選択でき、特別注文も可能だったという。

新築分譲時には、最高価格である1億円の住戸のひとつを当時人気だった女優・京マチ子が購入したことでも話題となった[7]

コープオリンピアは表参道でも最も原宿駅に近接した位置にある高級マンションとして知られ、後年になってもいわゆる「ヴィンテージ・マンション」として、中古住宅市場では築年数に比して高値での売買が行われている[4]

建て替え計画[編集]

コープオリンピアの管理は当初分譲会社である東京コープによって行われていた。しかしながらしばらくしてその運営方式に居住者からの疑義が呈されると、東京コープは管理権を放棄、その後は一貫して住民自らによる組織「コープオリンピア管理組合」による管理が行われてきた[4]

建設から44年を経て設備の老朽化が顕著となっていた2007年(平成19年)春頃、管理組合は建物の建て替えを計画、同年9月には組合員総数の約91%(総議決権数の約76%)の賛成を得て「建て替え推進決議」を採択、住民の多数が建て替えを希望していることを確認した[4][5]

コープオリンピア(2007年)

一方、コープオリンピアの建物は後年の法規での容積率450%に対して約600%で建設されていた[5]。さらに、コープオリンピアの建つ表参道では渋谷区によって、最高限度を30メートルとする高さ規制が導入されており[5]、規制前に建築されたコープオリンピアの高さは既にそれを超過していた[4]。これらに伴い、何らかの特例が認められない限りは、建て替えによる床面積の減少は避けられない状況であった[4]。実際、管理組合では、総合設計制度の適用や35%程度の容積率緩和を見越しての基本計画を立案したが、それでも所有者に提示された権利変換率は85%(建て替えによって、占有面積が現状の85%に減ずる)にとどまっていた[4]

採択された「建て替え推進決議」が法的拘束力を持たない一方、その後も管理組合では数百回に及ぶ会議を開き、「建て替え決議」が2009年(平成21年)4月19日の臨時総会において審議されることとなった[4]。立て替えの決定には、所有者の議決権と面積の両方で4/5以上の賛成を得る必要があるものの、「立て替え推進決議」が圧倒的多数の賛成で採択されていたコープオリンピアでは「立て替え決議」も4/5以上の賛成で採択されることが予想され、議決前から「マンション立て替えの成功事例」としてマスコミにも報じられた[4]

しかしながら、結果は組合員数では90%以上が賛成したものの、議決権数では約72%の賛成に留まったために決議要件を満たせずに終わった[5]

背景として、住商混在の複合所有形態による法的課題から、商業テナント所有者との協議が難航していることも伝えられていた[1]。この間において、コープオリンピアの区分所有者は151名おり、内訳は住宅が144名、店舗が7名であった[5]。このうち、低層部大型店舗の区分所有者が議決権の20.09%を有しており、この賛成を得ない限りは議決権の4/5以上を得ての決議は出来ない状況にある[5]

日本経済新聞2012年(平成24年)1月、政府がマンション建て替え要件を緩和する方針であることを伝える1面トップ記事のなかで、「東京都渋谷区のマンション(162戸)では、占有面積が大きく、大きな議決権を持つ住民が反対していることから、建て替えができないでいる」と、直接名指しはしていないもののコープオリンピアの事例に言及している[8]

商業テナント[編集]

南国酒家 原宿店本館
(コープオリンピア)

日本の高級マンションには珍しく、コープオリンピアでは通りに面した地下1階から2階の一部には店舗用のスペースが用意されている。店舗区画は全17区画であり[5]2011年(平成23年)末現在の主なテナントには中華料理店の南国酒家や、眼鏡店のzoffなどがある。

このうち南国酒家は、コープオリンピアが竣工した1965年(昭和40年)3月から現在の原宿店を営業している[9]

所在地[編集]

コープオリンピアの所在地には、かつて「大礼会館」という施設があった。大礼会館は木造2階建ての大きな建物で結婚式場などとしても使われており[10]、戦前の経済学者・上田貞次郎の日記にも、1935年(昭和10年)11月、原宿・大礼会館で行われた兄の次女の結婚式に出席したことが記されている[11]。大礼会館は、大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)5月23日、アメリカ軍による空襲を受けて焼失した[10]

また、コープオリンピアの西側隣接地、山手線との間には、バブル期には「世界一の富豪」ともいわれた実業家・堤義明が率いるデベロッパー・国土計画の本社ビルがあったが、同社の清算に伴って2006年(平成18年)に解体された。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 建物の維持管理 第1回 (PDF) 村島正彦 『建材試験情報』 9 '09 財団法人建材試験センター
  2. ^ a b 分譲マンションの歴史 『不動産情報サイト nomu.com』 野村不動産アーバンネット株式会社、平成23年12月22日閲覧
  3. ^ コープオリンピア ヴィンテージマンションの「トウキョウアパートメントラボ」 2016年2月27日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i “日本初”、住民による住民のためのマンション建て替え 築44年、東京・原宿の高級マンション管理組合の挑戦、2009年4月1日掲載、平成23年12月22日閲覧
  5. ^ a b c d e f g h i 管理組合等からの実情報告 (1)コープオリンピア (PDF)  老朽化マンション対策会議 第2回研究部会 次第 平成22年9月2日
  6. ^ アパートのすべて 宮田慶三郎著 金剛出版 1964年8月20日発行 208頁。
  7. ^ 神宮前六丁目 『原宿 1995』 コム・プロジェクト 穏田表参道商店会1994年12月25日発行
  8. ^ マンション建て替えやすく 政府方針 同意2/3に条件緩和 『日本経済新聞』 平成24年1月4日朝刊1面
  9. ^ 1964東京オリンピック 都バスに乗って記録を記憶した町を歩く (PDF) 浅羽晃 東京都交通局
  10. ^ a b 島野敬一郎 「羅災の記」 『続・表参道が燃えた日』 表参道が燃えた日編集委員会 平成23年刊
  11. ^ 『上田貞次郎日記 大正8年-昭和15年』 昭和10年11月9日の記述

座標: 北緯35度40分9.1秒 東経139度42分10.8秒