コタバト

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コタバト
Cotabato
位置
コタバトの位置(フィリピン内)
コタバト
コタバト
コタバト (フィリピン)
コタバトの位置(ミンダナオ島内)
コタバト
コタバト
コタバト (ミンダナオ島)
コタバトの位置(東南アジア内)
コタバト
コタバト
コタバト (東南アジア)
コタバト市の位置の位置図
コタバト市の位置
座標 : 北緯7度13分 東経124度15分 / 北緯7.217度 東経124.250度 / 7.217; 124.250
行政
フィリピンの旗 フィリピン
 地方 バンサモロ自治地域
 市 コタバト
地理
面積  
  市域 176.00 km2
標高 102 m
人口
人口 (2020年現在)
  市域 325,079人
その他
等時帯 フィリピン標準時 (UTC+8)

コタバト市Cotabato City)は、フィリピン南部ミンダナオ島の南部に位置する都市の1つである。コタバト・ヴァレー(コタバト平野)の米など農業産品の集散地として古くから栄えた。街の中心は、ミンダナオ有数の大河リオ・グランデ・デ・ミンダナオ(ミンダナオ川)がモロ湾に注ぐところから数km遡ったところにある河港である。

概要[編集]

コタバト市はバンサモロ自治地域BARMM)のマギンダナオ州の境界内にあるが、そのからは独立している。バンサモロ自治地域にも属さないが、その事実上の中心都市となっており、行政機関や議会などが置かれている。バンサモロに住むムスリムの宗教的中心として重要な都市である。 近くにコタバト州があり混同されるが、コタバト州分割以前はコタバト市はコタバト州内にあったものの現在では離れた場所にあり何の関係もない。コタバト市はソクサージェン地方に組み込まれていて、この地方の中心的な役割を持つ都市である。

地理[編集]

北はリオ・グランデ・デ・ミンダナオの川を挟んでスルタン・クダラット町(Sultan Kudarat)と、東はカブンタラン町(Kabuntalan)と、南はダトゥ・オディン・シンスアット町(Datu Odin Sinsuat)と接している。街の西側がイラナ湾の沿岸で、その南に広がるモロ湾に続いている。面積は176.0km2、人口は299,438人(2015年国勢調査)である。

歴史[編集]

コタバトは、コタバト平野を潤す大河の川岸にあり、稲作やその集散、輸出で栄えてきた。この地域には20世紀に多くのキリスト教徒がフィリピン北部・中部から移住しているが、以前から強大な勢力を誇ったムスリムのマギンダナオ族(「氾濫原の人々」の意味)も多い。地元には民族音楽クリンタン(Kulintang)や独自の織物、かご、楽器作りなど、豊かな文化が伝えられている。

コタバト(Cotabato)は、マギンダナオ族の言葉の kuta wato あるいはマレー語の kota batu が由来で、どちらも意味は「石の要塞」である。この地には古くからマギンダナオ族の王国の本拠があったが、16世紀ジョホールから来たシャリーフ・ムハンマド・カブンスワン(Shariff Mohammed Kabungsuwan)がイスラム教を紹介して王族の姫と結婚、マギンダナオ王国スルタンに率いられコタバト平野の農業力を背景とする強大な国家となった。スルタン・クダラットが治めた17世紀にはミンダナオ全島を支配し、マニラのスペイン人植民政府も手の出せない存在となったが、やがて勢力も衰え、19世紀半ばにはコタバト市もスペイン人の支配するところとなった。1903年には新たな支配者のアメリカ植民地政府がモロ州の一部としている。

コタバト市には1942年に日本軍が上陸、その後1945年にはフィリピン奪回を図るアメリカ軍との間で激戦地となっている。

コタバトは戦後コタバト州に属していたが、コタバト州が分割された現在ではマギンダナオ州に囲まれながらどの州にも属さない街になっている。

対外関係[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]