クルフ

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クルフ
Kurów

紋章
クルフの位置(ポーランド内)
クルフ
クルフ
座標: 北緯51度24分0秒 東経22度11分0秒 / 北緯51.40000度 東経22.18333度 / 51.40000; 22.18333
ポーランドの旗 ポーランド
ルブリン県
プワーヴィ郡
グミナ クルフ
成立 12世紀
City rights 1442年-1870年
行政
 - 市長 Jan Łubek
面積
 - 計 11.33km2 (4.4mi2)
標高 150m (492ft)
人口 (2008年)
 - 計 2,804人
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
 - 夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 24-170
市外局番 +48 81
ナンバープレート LPU

クルフKurów)は、ポーランド南東部のルブリン県プワーヴィ郡に属する面積11.3 km²、人口2804人(2008年現在)。

歴史[編集]

1431年から1442年の間に、村はマクデブルク法に基づく市の資格を認められた。 「private town」として、周辺地域における食料交易の中心であった。毛皮や皮工場もいくつかあった。 16世紀、クルフにはプロテスタントの一派であるポーランド兄弟団Polish Brethren)の人々が多く住んだため、カルバン主義の中心地のひとつだった。1660年までに、住民のほとんどが アリウス派に転向した。

1660年以降、この町はこの地方の歴史を運命をともにしている。1795年、 第三次 ポーランド分割以降、クルフはオーストリーに併合された。1809年には、ワルシャワ公国の一部になる。1815年、ポーランド立憲王国の一部となる。

11月蜂起のさなかの1831年2月に「クルフの戦い」が起こり、ポーランド人はユゼフ・ドヴェルニツキ将軍の指揮のもとにロシア軍をうち破った。1870年、1月蜂起の際にクルフは都市憲章(city charter)を失い、以後二度と回復していない。1918年、クルフはふたたびポーランドの領土となる。

1939年9月9日、ポーランドにとっては第二次世界大戦開始と同義であるドイツのポーランド侵攻時、クルフはドイツ空軍の猛烈な空襲を受けた。赤十字でマークされた民間病院も攻撃目標となり、多くの民間人が犠牲になった。第二次世界大戦中、ドイツはクルフに二つの強制収容所を設けた。1942年、小規模なゲットーが作られた。しかし、クルフに収容されたほとんどのポーランド人は脱出して、近隣の森から展開していたポーランド国内軍に入った。

旧跡など[編集]

  • 教会 (1452年建設, 1692年改装) Zbaski家の墓所とSanti Gucci (1587年)による彫像がある。
  • 鐘楼 (18世紀建設)
  • 1911年建設)
  • 教区司祭館 (1778年 - 1782年建設)
  • 司教の家と教区学校
  • 共同墓地
  • Commune Hall (19世紀建設)
  • postal inn (18世紀建設)
  • テルメ (19世紀建設の公衆浴場)

出身者[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]