ガリヤン
ガリヤン غريان | |
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市 | |
北緯32度10分01秒 東経13度01分00秒 / 北緯32.16694度 東経13.01667度座標: 北緯32度10分01秒 東経13度01分00秒 / 北緯32.16694度 東経13.01667度 | |
国 | リビア |
地方 | トリポリタニア |
県 | ジャバル・アル・ガルビ県 |
標高 | 700 m |
人口 (2011年) | |
• 合計 | 187,854人 |
等時帯 | UTC + 2 |
ガリヤン(Gharyan)、ガルヤーンとも) (アラビア語: غريان Ġaryān)は、リビア北西部のトリポリタニアのジャバル・アル・ガルビ県の県都。2011年の人口は約18.8万人。首都トリポリから南へ113km離れている。ガリヤン山の斜面に位置し、周囲には乾燥した高原が広がる。ナフサ山地東部に位置し、山地西部のナールートと並ぶナフサ山地の中心都市である。住民はベルベル人が多い。トリポリからの高速道路がガリヤン近郊まで通じており、ガリヤンで南へ直進しフェザーン地方のセブハに向かう道と、ナフサ山地上の諸都市を結んでナールートまで延びる道路が分岐する交通の要衝である。
ガリヤンはトリポリから南のフェザーンへのキャラバンがナフサ山地を越える地点にあり、古くから交易で栄えた。1884年、オスマン帝国はガリヤンに市長と市評議会を設置した[1]。 20世紀初頭には、ガリヤンはイタリアの侵略に対する抵抗拠点のひとつとなった。1920年代には、イタリア人がトリポリとガリヤン近郊の村の間に長さ90kmの鉄道を敷設したが、第二次世界大戦中にイギリス軍によって破壊された[2]。
ガリヤンはこの地方で生産されるイチジク、サフラン、穀物の集散地であり[3]、これらの生産物は地元での消費用のほか、一部は輸出される。また、ガリヤンは陶器の生産地としても知られており、焼き物はガリヤンの名産品となっている。
ガリヤンには、かつてこの地方の住民が暮らしていた穴居住宅(ダモース)がいくつか残っている。これはベルベル人が夏の暑さと外敵を防ぐために建設したもので、深い縦穴を掘り、そこから横に穴を掘り進めて住居としたものであり、チュニジアのマトマタにあるものと類似している。
2014年リビア内戦
[編集]2019年4月2日、リビア国民軍はガリヤンを制圧して作戦本部を設置したが、同年6月26日には国民政府軍が支配権を再奪取している[4]。
脚注
[編集]- ^ Anderson, Lisa (1984) "Nineteenth-Century Reform in Ottoman Libya" International Journal of Middle East Studies, 16(3): pp. 325-348, p. 331
- ^ Le ferrovie nell'Africa italiana: aspetti economici, sociali e strategici (in Italian) (PDF)
- ^ Anderson, Lisa (1984) "Nineteenth-Century Reform in Ottoman Libya" International Journal of Middle East Studies, 16(3): pp. 325-348, p. 333
- ^ “リビア国民軍率いるハフタル氏、領海内のトルコ船舶の攻撃を命令”. AFP (2019年6月29日). 2019年8月10日閲覧。