エリザベート・ド・ヌヴェール

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エリザベート・ド・ヌヴェール
Élisabeth de Nevers
墓に描かれたエリーザベトと夫ヨハン1世の肖像画

出生 1439年8月24日以降
フランス王国ヌヴェール
死去 1483年6月21日
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
クレーフェ、聖マリア教会
配偶者 クレーフェ=マルク公ヨハン1世
子女 本文参照
家名 ヴァロワ=ブルゴーニュ家
父親 ヌヴェール伯ジャン2世
母親 ジャクリーヌ・ダリー
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エリザベート・ド・ヌヴェールフランス語:Élisabeth de Nevers, 1439年8月24日以降 - 1483年6月21日[1]は、クレーフェ=マルク公ヨハン1世の妃。クレーヴ=ヌヴェール家の家長であった。その領地は遺産の一部として、死後は息子アンジルベールが継承した。

生涯[編集]

エリザベートはエタンプ、ヌヴェール、ルテルおよびウー伯ジャン2世とジャクリーヌ・ダリーの長子として生まれた。エリザベートの弟は5歳で亡くなり、父ジャン2世は息子がいなかったため、長女エリザベートをヌヴェール伯領とウー伯領の相続人とした。

1456年4月22日[注釈 1]ブルッヘにおいてクレーフェ公ヨハン1世と結婚した。マリー・ド・ブルゴーニュとクレーフェ公アドルフ1世の結婚に続き、これはヴァロワ=ブルゴーニュ家マルク家の2度目の結婚となった。これらの結婚により、クレーフェ公国はその後100年間ブルゴーニュと密接な関係を持つこととなり、主に文化生活に反映された。宮廷生活だけでなく、クレーフェ公領における統治上の制度も、ブルゴーニュの例に倣うようになった。

ゲルデルン公アドルフ・ファン・エフモントの死後、アドルフの妹カタリーナと皇帝マクシミリアン1世の両者がゲルデルン公領に対する権利を主張した。マクシミリアン1世の主張はマリー・ド・ブルゴーニュとの結婚に基づいていた。エリザベートの夫ヨハン1世が皇帝を支援するためゲルデルンに向かった際には、エリザベートは夫が不在の間、クレーフェを統治した[2]

エリザベートは1483年6月21日に父に先立って死去した。エリザベートのクレーフェおよびウーの継承権は三男アンジルベールが継承し、アンジルベールはクレーヴ=ヌヴェール家の祖となった。エリザベートはクレーフェの聖マリア聖堂参事会教会に埋葬され、夫も同じ墓に埋葬されている。墓は彫刻が施され金メッキされた銅板で覆われている。また、天板はカレル・ファン・エフモントの依頼で作られたもので、夫妻の姿が描かれており、数少ないエリザベートの肖像画の一つである。この墓は、この種の芸術の中で最も重要なものの1つとされている[3]

子女[編集]

エリザベートとヨハン1世の間には6子が生まれた。

  • ヨハン2世(1458年 - 1521年)[4] - クレーフェ=マルク公
  • アドルフ(1461年4月28日 - 1498年4月4日) - リエージュの律修司祭
  • エンゲルベルト(1462年 - 1506年)[4] - ヌヴェール伯、ウー伯
  • ディートリヒ(1464年6月29日生) - 早世
  • マリア(1465年8月8日 - 1513年10月7日)
  • フィリップ[4](1467年1月1日 - 1505年3月5日) - ヌヴェール司教(1500年 - 1505年)、アミアン司教(1501年 - 1503年)およびオータン司教(1505年)

注釈[編集]

  1. ^ いくつかの資料では、1455年が結婚の年とされている。これは、1456年3月27日の結婚証明書に1455年3月27日という誤った日付が記載されているという事実に由来していると考えられる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b Forst 1911, p. 74.
  2. ^ Gelre, Vereeniging tot Beoefening van Geldersche Geschiedenis, Oudheidkunde, en Recht (eds.): Bijdragen en mededelingen, vol. 59, S. Gouda Quint, D. Brouwer en Zoon, Arnhem, 1960, ISSN 0923-2834, p. 151.
  3. ^ Hohmann 1995, p. 88.
  4. ^ a b c Boltanski 2006, p. 501.

参考文献[編集]

  • Boltanski, Ariane (2006) (French). Les ducs de Nevers et l'État royal: genèse d'un compromis (ca 1550 - ca 1600). Librairie Droz S.A. 
  • Forst, Otto (1911). “Die Ahnentafel des letzten Herzogs von Cleve, Jülich und Berg”. Zeitschrift des Bergischen Geschichtsvereines (ZBGV) (Neustadt an der Aisch: Ph. C. W. Schmidt) vol. 44. ISSN 0067-5792. 
  • Hohmann, Karl-Heinz (1995). Bau- und Kunstdenkmäler im Kreis Kleve. Ein kursorische Übersicht (= Rheinische Kunststätten, vol. 419S) (1st ed.). Neuss: Neusser Druckerei und Verlag