参事会員
参事会員(さんじかいいん、英語: Canon、ラテン語: Canonicus)は、司教座聖堂や参事会聖堂、共住の共同体[1]に属するカトリック教会の聖職者である。祭式者とも呼ばれる[2][3]。参事会員は、在俗参事会員(聖堂参事会員など)、律修参事会員(修道参事会員)、名誉参事会員に区分される。
参事会員により、参事会(祭式者会[4]とも。英語: Chapter)が構成される。
1983年に公布された現行の教会法では、聖堂付きの参事会および参事会員については第503条から510条において規定されている[4][5]。
歴史
[編集]黎明期
[編集]初代教会における使徒的生活に従おうとした最初の在俗司祭共同体は、4世紀から5世紀に現れ、多くの場合は司教とその司教座聖堂の周囲に形成された[1]。最も有名な例は、聖アウグスティヌスを中心とする共同体である。都市や地方の他の聖堂の聖職者へ分岐した後、司教座聖堂付聖職者は特別な地位を得ることとなった[6]。
canonicusという語は、6世紀のガリア、すなわちメロヴィング朝期のフランク王国で作成された教会会議文書において確認されるようになる。具体例として、535年のクレルモン教会会議[7]、538年の第3オルレアン教会会議[8]、567年の第2回トゥール教会会議[9]が挙げられる。ただし、この時期のcanonicusは、教会に登録され、一定の職務と生活保障を伴う聖職者を指した語と解される。
中世の発展期
[編集]修道会と在俗生活の間である聖職者の共同体は次第に都市に定着していき、8世紀において、特にフランク王国にて聖ボニファティウスやメッツ(メス)の司教であった聖クロデガングによって発展した[1][6]。聖クロデガングは、8世紀末頃、メッツ司教区の参事会員のために会則を書いた[1]。
816年、カール大帝の子であるルートヴィヒ1世(敬虔王)が主宰したアーヘン教会会議にて、すでに存在していた参事会的集団についての規則が定められた[6]。修道士とは異なり、参事会員においては誓願(そのうち特に清貧の義務)を伴わない、より緩やかな規則が適用された[1]。
11世紀のグレゴリウス改革の時代には、参事会員の生活を初代教会の使徒的生活に立ち返らせる改革が進められた。1059年のラテラノ教会会議では、後の教皇グレゴリウス7世であるヒルデブラントの影響のもと、参事会員の共同生活が承認・規律化された。ヒルデブラントは、アーヘン教会会議の決定が、参事会員共同体の退廃の主な原因であると考えていた[10]。この改革の過程で、私有財産を放棄して共同生活を選ぶ律修参事会員と、私有財産を認める在俗参事会員との区別が明確化していった。律修参事会員の共同体は、聖務日課、典礼、司牧、教育、慈善活動などを担う聖職者共同体として発展し、共同体の規範として聖アウグスティヌスの修道会則を採用していった[1][11]。
この動きは11世紀後半から12世紀にかけてローマからイタリア全土へ、さらにフランス、とりわけ南フランス、南スペイン、オーストリア、イングランド、アイルランドにまで広がった[10]。
12世紀には、聖アウグスティヌスの修道会則を規範とする参事会の共同体として、サン・ヴィクトル修道院、プレモントレ会、至聖なる救世主ラテラノ修道参事会(英語: Canons Regular of the Lateran)[12]などが発展した。1339年には教皇ベネディクトゥス12世が公布した使徒憲章『アド・デコレム・エクレジエ』(ラテン語: Ad decorem Ecclesiae)により、規律と統治の整備が図られた[10][13]。14世紀末にはヴィンデスハイム修道会が成立し、宗教的革新・刷新運動であるデヴォティオ・モデルナを指示した。
一方、在俗参事会員も、とりわけ教会全体へ広がった聖職禄制度により11世紀以降に発展した。司教座聖堂参事会(英語: Cathedral chapter)は独自の財産を所有し始め、各参事会員は生活を支えるための聖職禄を享受した[注釈 1][13][1]。
司教座聖堂参事会の傍らでは、有力な保護者たちによって、個別または共同の聖職禄をもつ参事会聖堂が次第に創設された。それらは独自の参事会をもち、参事会員たちは人々のために典礼を執行し、学校を運営し、他の司牧的・文化的任務を担った。ほとんどの都市には参事会員の参事会が存在し、様々な分野においてカトリック文化の発展に大きく寄与した[1]。
16世紀までは、共同生活の痕跡、とりわけ共同の食事が残っていた。しかし、ほとんどの参事会員は自宅で生活しており、唯一の共同活動は典礼だった。彼らは退廃の時代にあっても典礼に忠実であり続けたが、時には聖歌隊席での奉仕を代行する司祭たちの助けを借りることもあった[1]。
後期中世以降の改革と衰退
[編集]後期中世以降、参事会に影響を及ぼす多くの改革が行われた。多数の参事会は、修道会化されたり、財産の不足によって廃止されて時代の変転を生き延びることができなかったものもあった[1]。
たとえば、16世紀において、ミラノ大司教区の大司教であった聖カルロ・ボロメオは、トリエント公会議の規定を実施するために推進した改革の一環として、司教座聖堂であるミラノ大聖堂における典礼生活の顕著な刷新と参事会規約の根本的な改訂を命じた。聖カルロ・ボロメオによる改革は、後継者のガスパーレ・ヴィスコンティ大司教によって完成された[14]。
また、15世紀における改革の試みにより、在俗者の共同生活を復興しようとする共同体が現れるようになった。ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・イン・アルガの修道参事会員(英語: Canons Regular of San Giorgio in Alga)の会は、ヴェネツィアの初代総大司教である聖ロレンツォ・ユスティニアニ[15]を輩出した共同体であり、単一の長上の下で共同生活を送り、自分たちの聖堂の聖職禄を共同使用する形態をとった[1]。同会は中央集権的に組織された他の在俗参事会にも影響を及ぼした。その代表例が、1420年頃にポルトガルで設立された聖ヨハネ福音記者を保護者とする世俗参事会員の会(Congregação dos Cónegos Seculares de São João Evangelista)である[16]。しかしながら、ポルトガルにおける1834年以降の教会財産の世俗化・国有化の過程で会は廃止された[1][17]。
聖アウグスティノ修道参事会についても、16世紀の宗教改革期、また18世紀後半のヨーゼフ主義的教会政策、およびフランス革命・ナポレオン期から1803年のドイツ世俗化に至る過程で、同参事会の多くの修道院・参事会も解散、没収、転用、または破却された[12]。
20世紀以降
[編集]20世紀においては、1917年に教皇ベネディクト15世により公布された教会法典において、参事会(祭式者会)および参事会員について規定された[2][18]。
また、聖アウグスチノ修道参事会員連盟が、ラテラン教会会議(1059年)の900周年にあたる1959年に創設され[19]、同年5月4日、教皇ヨハネ23世の使徒的書簡『カリタティス・ウニタス』(ラテン語: Caritatis unitas)によって認可された[20]。
20世紀後半から21世紀にかけては、トリエント・ミサ(伝統ラテン語ミサ)を執行する参事会が新たに創立・認可された(以下の「現在活動している組織」を参照)。
現在活動している組織
[編集]現在活動している参事会員の組織の一部は以下の通りである。
在俗参事会
[編集]- 聖ペトロ大聖堂参事会[21][22]
- ラテランの聖ヨハネ大聖堂(サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ)参事会[23]
- サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂参事会[24][25]
- ミラノ大聖堂首都大司教座参事会(英語: Metropolitan Chapter in Milan Cathedral)[14]
- ケルン大聖堂首都大司教座参事会[26]
- ウェストミンスター大聖堂首都大司教座参事会[27]
- メス大聖堂参事会[28]
在俗参事会員的形態の組織
[編集]- 王たるキリスト宣教会:2008年10月7日、教皇庁エクレジア・デイ委員会により、参事会員的形態の使徒的生活の会として認可された[1][29]。1962年公布の典礼書に従ってトリエント・ミサを執行している。
律修参事会および参事会員
[編集]聖アウグスチノ修道参事会に属する参事会
[編集]- 至聖なる救世主ラテラノ修道参事会(英語: Canons Regular of the Lateran)[12]
- ヴィンデスハイム修道会
- グラン・サン・ベルナール修道院の参事会員[12][30]:アルプス山中のグラン・サン・ベルナール峠(大サン・ベルナール峠)にて、峠を越す旅人のための救護活動およびホスピス運営をしている。
- アゴーヌのサン・モリツ修道参事会(Congrégation des chanoines réguliers de Saint-Maurice d'Agaune)[12]
- 無原罪の御宿りの修道参事会[12]
聖アウグスティヌスの修道会則に従っている参事会
[編集]- プレモントレ会(英語: Premonstratensians)[12][31]
- コインブラの聖十字架修道会[12]
- ギルバート修道会[32]
- 主イエズス律修参事会員会(英語: Canons Regular of Jesus the Lord):1987年にグアムで創設。1992年以降、ロシアのウラジオストクにおいて至聖なる御母小教区教会にてロシア東部におけるローマ・カトリック教会の復興を目的として活動しており、他の国にも拠点がある[33][34]。2014年には、インドネシアのマウメレ司教区のゲルルフス・ケルビム・パレイラ司教により、公式の修道共同体として認可された[35]。
- ケンティの聖ヨハネ律修参事会(英語: Canons Regular of St. John Cantius):1998年設立。 シカゴのケンティの聖ヨハネ教会において、トリエント・ミサおよび通常形式ミサを執行している[36]。
- 新しいエルサレム修道参事会(英語: Canons Regular of the New Jerusalem):2002年、ウィスコンシン州ラクロス司教区において、当時のレイモンド・バーク司教が設立[37]。1962年公布の典礼書に従ってトリエント・ミサを執行している。
著名な参事会員
[編集]聖人
[編集]- マントンの聖ベルナルド(923年頃 - 1008年):アルプスにおいて福音を伝え、貧困者の世話を行い、多数の改宗を促した。現在のグラン・サン・ベルナール峠において、旅人の世話をする救護所を設けた[38][39]。
- シャルトルの聖イヴォ(1040年 - 1117年):シャルトルの司教。中世最大の教会法学者の一人。聖アウグスチノ修道参事会出身[12][40]。
- 聖ノルベルト(1080年頃 - 1134年):マクデブルクの大司教。プレモントレ会を創立[41]。
- 聖ウバルド(1084年頃 - 1160年):聖アウグスチノ修道参事会員。後にイタリアのグッビオの司教[42]。
- 聖ギルバート(聖ジルベルト)(1085年頃 - 1189年):ギルバート修道会を創立[32]。
- 聖ヴィチェリヌス(1086年頃 - 1154年):ホルシュタインのオルデンブルク司教。「ホルシュタインの使徒」と称される。聖アウグスチノ修道参事会出身[43]。
- エルサレムの聖アルベルト(1149年 – 1214年):モルターラの聖十字架修道会に入会後、ボッビオ司教、ヴェルチェッリ司教を務めた。エルサレム総大司教在任中、カルメル会創立に参与し、戒律を起草した[44][45]。
- 聖ロレンツォ・ユスティニアニ(1381年 – 1456年):ヴェネツィアの初代総代司教。サン・ジョルジョ・イン・アルガの修道参事会員出身。
- 聖スタニスワフ・カジミェルチク(1433年 – 1489年):至聖なる救世主ラテラノ修道参事会会員(司祭)。2010年10月17日、教皇ベネディクト16世により列聖[46]。
- 聖ペトロ・フリエ(1565年 - 1640年):ロレーヌの聖アウグスティヌス律修参事会員出身。福者アリックス・ル・クレールと共に、女子教育を目的とする「聖母女子修道参事会」を創設(この会は後に「ノートルダム教育修道女会」となる)[47][48]。ロレーヌの律修参事会共同体を改革して「聖なる救世の律修参事会」を組織した[49]。
福者
[編集]- 福者アリックス・ル・クレール(1576年 – 1622年):聖ペトロ・フリエと共に「聖母女子修道参事会」を創設[48]。
- 福者アンナ・カタリナ・エンメリック(1774年 - 1824年):1802年、聖アウグスチノ律修参事女会に属するデュルメンのアグネテンベルク修道院に入った(その後閉鎖)[50]。
その他
[編集]- 教皇ハドリアヌス4世(1100年頃 - 1159年):アヴィニョン付近に所在する聖アウグスチノ修道参事会の聖ルフス修道院に入り、大修道院に昇進した[51][52]。
- トマス・ア・ケンピス(1379年/1380年 - 1471年):聖アウグスチノ修道参事会に属するヴィンデスハイム修道会会員[53]。副院長を務めた。デヴォティオ・モデルナの影響力ある代表者。信心書『キリストに倣いて』(イミタツィオ・クリスティ)を著したとされる。
- デジデリウス・エラスムス(1466年頃 - 1536年):カトリックの人文主義者。1486年頃、ゴーダ近郊ステインのエマオ修道院に入り、聖アウグスチノ律修参事会員となり、1492年に司祭に叙階された[54]。1493年または1494年頃、カンブレー司教の秘書となるために修道院を離れた[55]。
- カール・エッガー(1914年 - 2003年):聖アウグスチノ修道参事会の首席大修院長を務めた。1959年の聖アウグスチノ修道参事会員連盟設立に大きく関与した。バチカンにおいて長年、教皇庁文書のラテン語訳・校訂を担ったラテン語学者であり、『現代ラテン語辞典』などを編纂した。第2バチカン公会議の後、1966年から、典礼憲章実施評議会において典礼改革関連の作業に関与した。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 司教座聖堂参事会は、通常は在俗参事会員から構成される参事会だが、中世には律修参事会員が様々な司教座聖堂を委ねられた例もある。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 Msgr. Michael Schmitz. “Secular Canons” (英語). https://www.institute-christ-king.org/. Institute of Christ the King Sovereign Priest(王たるキリスト宣教会). 2026年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月25日閲覧。
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- 1 2 日本カトリック司教協議会教会行政法制委員会 訳『カトリック新教会法典』有斐閣、2001年12月20日、第503条、274-275頁。
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