エドワード・スミス=スタンリー (第13代ダービー伯爵)

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第13代ダービー伯爵
エドワード・スミス=スタンリー
Edward Smith-Stanley
13th Earl of Derby
生年月日 1775年4月21日
没年月日 (1851-06-30) 1851年6月30日(76歳没)
出身校 ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ
所属政党 ホイッグ党
称号 第13代ダービー伯爵ガーター勲章士(KG)
配偶者 シャーロット(旧姓ホーンビー)
親族 第12代ダービー伯爵(父)
第14代ダービー伯爵(長男)

イギリスの旗 庶民院議員
選挙区 プレストン選挙区英語版
ランカシャー選挙区英語版[1]
在任期間 1796年6月11日 - 1812年11月24日
1812年10月14日 - 1832年12月10日[1]

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1832年12月22日 - 1851年6月30日[1]
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第13代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー英語: Edward Smith-Stanley, 13th Earl of Derby, KG1775年4月21日 - 1851年6月30日)は、イギリス貴族、政治家。

爵位を持つ前の1832年までスタンリー卿(Lord Stanley)の儀礼称号を使用した[2]1832年にビッカースタッフのスタンリー男爵に叙され、1834年にダービー伯爵位を継承した。

イギリス首相を務めた第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーは長男である。

経歴[編集]

1775年4月21日に第12代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーの長男として生まれる。母は第6代ハミルトン公爵ジェイムズ・ダグラス=ハミルトンの娘エリザベス嬢英語版[3][4][2]

イートン校を経て、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学し、1795年M.A.の学位を取得[4][2]

1796年解散総選挙でスタンリー家の影響下にあるプレストン選挙区英語版(2議席選出)からホイッグ党候補として出馬した。プレストン市当局の後援を受けるトーリー党候補ジョン・ホロックス英語版を僅差で抑えて、同じホイッグのサー・ヘンリー・フィリップ・ホートンとともに当選を果たす[5]

しかしあまりに巨額の選挙資金がかかったため、これに懲りたスタンリー家は市当局と和解し、以降この選挙区においてはホイッグとトーリーで議席を分け合うことが取り決められた。そのため1802年解散総選挙英語版1806年解散総選挙英語版ではスタンリー卿は無競争で当選することができた。1807年解散総選挙英語版ではスタンリー家と市当局の慣れ合いに憤慨した市民グループが独自候補を立てたが、連携するスタンリー卿と市当局の候補が勝利した[6]

1812年解散総選挙英語版では一族のトマス・スタンリー英語版の地盤を引き継ぐ形でより格の高い州選挙区であるランカシャー選挙区英語版に転じた。ここもホイッグとトーリーの慣れ合い選挙区であり、1832年までこの選挙区から無競争で当選を続けることができた[7]

貴族院における政府派(ホイッグ)を強化しようというグレイ伯爵内閣の方針により[7]1832年12月にビッカースタッフのスタンリー男爵に叙され、貴族院へ移籍した[1]1834年10月の父の死により第13代ダービー伯爵位を継承する[4][2]

鳥類研究者として著名で、1831年にはロンドン動物学会会長に就任[8][4][2]、1851年まで務めた[9]ロンドン・リンネ協会では1807年にフェローに選出された後、1810年に協会の評議員会(Council)の成員になり、1816年に副会長の1人に就任、1828年から1834年まで会長を務めた[9]。また1831年ランカシャー副提督英語版1834年にはランカシャー統監英語版に就任した[4][2]

1851年6月30日に死去した。ダービー伯爵位は長男のエドワード(1844年に繰上勅書でビッカースタッフのスタンリー男爵位を継承し、すでに貴族院入りしていた)が継承した[10]

人物[編集]

1834年にダービー伯爵家を相続した後、ダービー伯爵家のノーズリー荘園に「エイヴィアリー」と呼ばれる鳥類と哺乳類の飼育場を建設した。ヴィクトリア女王はじめ同好の人々と動物の交換をするなどして動物の種類を増やしていった。彼によってはじめて紹介され、彼の名を冠されることになった動物も存在する(南アフリカ原産のスタンリー・クレーンなど[9])。シカなどの狩猟動物の繁殖を行ったり、異なる牛を交配させて牛肉の改善を図るなどもした[11]

彼は議員としての役割をないがしろにしたことはないが、政治的経歴はそれほど盛んにはならなかった。彼は息子のエドワード(第14代ダービー伯爵)の方が政治家向きと考えており、政治のことは息子に委ねていたという[12]

栄典[編集]

爵位[編集]

勲章[編集]

家族[編集]

1798年にシャーロット・ホーンビー(教区牧師ジェフリー・ホーンビーの娘)と結婚し、彼女との間に3男4女を儲けた[12][13]

  • エドワード・ジェフリー(1799年3月29日 – 1869年10月23日) - 第14代ダービー伯爵[13]
  • シャーロット・エリザベス(1801年7月11日 – 1853年2月15日) - 1823年12月16日、エドワード・ペンリン(Edward Penrhyn、1795年 – 1861年3月6日)と結婚[13]
  • ヘンリー・トマス英語版(1803年3月9日 – 1875年4月2日) - 1835年9月1日、アン・ウールハウス(Anne Woolhouse、リチャード・ウールハウスの娘)と結婚、子供あり[13]
  • エミリー・ルーシー(1804年5月2日 – 1804年11月15日[13]
  • ルイーザ・エミリー(1805年6月1日 – 1825年12月11日) - 1825年4月18日、サミュエル・ロング(Samuel Long、1881年8月31日没)と結婚[13]
  • イリナ・メアリー(Ellinor Mary、1807年5月3日 – 1887年9月11日) - 1835年6月11日、フランク・ジョージ・ホップウッド(Frank George Hopwood)と結婚[13]
  • チャールズ・ジェームズ・フォックス(1808年4月25日 – 1884年10月13日) - 1836年12月10日、フランシス・オーガスタ・キャンベル(Frances Augusta Campbell、1878年5月29日没、サー・ヘンリー・フレデリック・キャンベル英語版の娘)と結婚、子供あり[13]

出典[編集]

  1. ^ a b c d UK Parliament. “Mr Edward Stanley” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年5月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g "STANLEY, Lord EDWARD (SMITH) (STNY792E)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ バグリー 1993, p. 277.
  4. ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. "Edward Smith-Stanley, 13th Earl of Derby". The Peerage (英語). 2014年5月8日閲覧
  5. ^ バグリー 1993, pp. 279–280.
  6. ^ バグリー 1993, pp. 279–281.
  7. ^ a b バグリー 1993, p. 281.
  8. ^ バグリー 1993, pp. 284.
  9. ^ a b c "Edward Smith-Stanley, 13th Earl of Derby and second President of the Linnean Society (1775-1851)". The Linnean Society of London (英語). 1 October 2012. 2022年2月4日閲覧
  10. ^ バグリー 1993, pp. 289–290, 304.
  11. ^ バグリー 1993, pp. 285–287.
  12. ^ a b バグリー 1993, p. 282.
  13. ^ a b c d e f g h Lodge, Edmund (1892). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (61st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 188.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代
ウィリアム・カンリフ・ショウ
サー・ヘンリー・フィリップ・ホートン
プレストン選挙区英語版選出庶民院議員
1796年 - 1812年
同一選挙区同時当選者
サー・ヘンリー・フィリップ・ホートン(1796-1802)
ジョン・ホロックス英語版(1802-1804)
サミュエル・ホロックス(1804-1812)
次代
エドムンド・ホーンビー
サミュエル・ホロックス
先代
トマス・スタンリー英語版
ジョン・ブラックバーン英語版
ランカシャー選挙区英語版選出庶民院議員
1812年英語版 - 1832年英語版
同一選挙区同時当選者
ジョン・ブラックバーン英語版(1812-1830)
ジョン・ウィルソン=パッテン英語版(1830-1831)
ベンジャミン・ヘイウッド英語版(1831-1832)
選挙区廃止
名誉職
空位
最後の在位者
第4代ハミルトン公爵
ランカシャー海軍次官英語版
1831年1851年
空位
先代
第12代ダービー伯爵
ランカシャー統監英語版
1834年 - 1851年
次代
第3代セフトン伯爵英語版
職能団体・学会職
先代
サー・ジェームズ・エドワード・スミス
ロンドン・リンネ協会会長
1828年 – 1834年
次代
第11代サマセット公爵英語版
先代
第3代ランズダウン侯爵
ロンドン動物学会会長
1831年 – 1851年
次代
王配アルバート
イングランドの爵位
先代
エドワード・スミス=スタンリー
第13代ダービー伯爵
1834年 - 1851年
次代
エドワード・スミス=スタンリー
イギリスの爵位
爵位創設 初代ビッカースタッフのスタンリー男爵
繰上勅書により生前に爵位を譲る)

1832年 - 1844年
次代
エドワード・スミス=スタンリー