エッサ・デ・ケイロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はデ・エッサ第二姓(父方の)はデ・ケイロスです。
ジョゼ・マリア・デ・エッサ・デ・ケイロス
José Maria de Eça de Queiroz
Eça de Queirós c. 1882.jpg
誕生 1845年11月25日
ポルトガルの旗 ポルトガルポヴォア・デ・ヴァルジン
死没 (1900-08-16) 1900年8月16日(54歳没)
フランスの旗 フランス
職業 小説家弁護士ジャーナリスト外交官
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
文学活動 写実主義
代表作 『アマーロ神父の罪』、『逝く夏』、『大官を殺せ』、『縛り首の丘』
デビュー作 『ある金髪女の奇行』
Portal.svg ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

エッサ・デ・ケイロス(José Maria de Eça de Queiroz(Queirós)、1845年11月25日 - 1900年8月16日)は、ポルトガル小説家弁護士ジャーナリスト外交官

1845年にポルトガル北部のポーヴォア・デ・ヴァルジンに判事の子として生まれる。庶子だったため9歳まで祖父母に育てられ、祖父母が死別した後ポルトのラバ学園に入学した。16歳でコインブラ大学の法学部に入学し、在学中は演劇に熱中した。大学を卒業後、リスボンで弁護士として活動した。1869年のスエズ運河開通と同時に東洋を旅し、ジャーナリスト、作家として旅行記、短編小説を発表。1870年に父親の計らいにおいてレイリーア郡知事に任命、1872年にはスペイン領キューバハバナ領事に赴任し、その後ニューカッスルブリストルの領事を歴任した。結婚してからの1888年以後は、パリ領事としてパリに滞在し、『縛り首の丘』などの小説を執筆、1900年に健康を損ない54歳でこの世を去った。

作品[編集]

日本語訳のある作品[編集]

  • エッサ・デ・ケイロース/彌永史郎訳『縛り首の丘』白水社、1996年3月。
  • エッサ・デ・ケイロース/浜崎いとこ訳『アマーロ神父の罪』彩流社、2004年4月。
  • エッサ・デ・ケイロース/小川尚克訳『逝く夏』彩流社、2008年1月。
  • エッサ・デ・ケイロース/小川尚克訳『都市と田舎』彩流社、2014年8月。