ウィリアム・ベイリス

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ウィリアム・ベイリス
William Bayliss 1918b.jpg
1918年のウィリアム・ベイリス
生誕 ウィリアム・ベイリス
John William Maddock Bayliss
1860年5月2日
スタッフォードシャーウェンズベリー
死没 1924年8月27日(1924-08-27)(64歳)
ロンドン
国籍 イングランド
研究分野 生理学
研究機関 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
出身校 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
オックスフォード大学
主な業績 セクレチン
蠕動
主な受賞歴 ロイヤル・メダル(1911年)
コプリ・メダル(1919年)
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18歳の時のベイリス(1878年)

ウィリアム・ベイリス(William Maddock Bayliss、1860年5月2日-1924年8月27日)は、イギリス生理学[1]王立協会フェロー

生涯[編集]

スタッフォードシャーウェンズベリーで生まれたが[2][3]、その直後に、鉄細工の商人として成功した父はロンドンの大きな土地に引っ越した。ウィリアムは、その唯一の相続人であった[4]。彼は1880年からユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン医学を学んだが、解剖学に落第した[5]。その後、生理学に興味を持ち、ワダムカレッジジョン・バードン・サンダースンの下で唾液分泌中に起こる電気的変化を研究し、一等の成績で卒業した。1888年には、エドワード・アルバート シャーピー・シェイファーの助手としてユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに戻った。1890年には、ガイズ病院に勤めていたアーネスト・スターリングと、心臓の電気活動に関する共同研究を始めた。例えば、スターリングが資料の調整を行っている間にベイリスが測定装置を準備する等、彼らは様々な面で互いを補い合った。

ベイリスはスターリングの姉妹のガートルードと1893年に結婚し、3人の息子と1人の娘を儲けた。彼らはロンドンの住居を楽しみ、ロンドンで行われた生理学会の全ての参加者を宿泊させさえした。彼は4エーカーの庭園内の波形鉄板製の小屋に実験室を作った。

彼とスターリングは、当初、静脈毛細血管の圧力について研究していたが、1897年にの運動性の調整へと、研究の方向性を根本的に変えた[6]。1899年にスターリングがユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに移籍し、共同研究はより容易になった。

腸管腔塩酸を注射すると膵臓からの分泌が誘導されるが、血液に注射してもそうならないことが知られていた。彼らはどの神経が関わっているかを決定したが、除神経でその反応は収まらなかった。ひらめきで、彼らは腸粘膜のサンプルを塩酸を含んだ砂ですり潰し、濾過した抽出物を注射し、大量の膵臓からの分泌を誘発した[7]。彼らはこの化合物をセクレチンと呼び、このような伝達化合物をホルモンと名付けた。

1903年、彼は医学生の前で、麻酔犬の実験を行った。2人のスウェーデン人女子留学生は麻酔は不十分だったと信じ、反生体解剖主義者のStephen Coleridgeに報告し、彼の拷問との告発は、広く新聞で報じられた。

ベイリスはその後、の循環と酵素活性を研究し、生化学会を設立した。1912年、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで、彼のために一般生理学の教授職が作られた。

第一次世界大戦が開戦した年に、スターリングは陸軍にいた。ベイリスは生理学を教えており、王立協会食糧委員会に所属していた[8]。1916年、彼は外傷性ショックに関する論文を著した[9]。ショックの際には、患者が出血していなくても血液量が減少することが知られていた。この血液の現象により血圧が低下し、これがショック症状の原因となる。食塩水の注射により血液量が回復すると、血圧は上昇するが、過渡的なものに過ぎない。静脈内の食塩水は、ソンムの戦いでショックを受けた者を助けなかった。ベイリスはネコを用いて、食塩水が5%のゼラチンまたはアラビアガムを含めば、血圧の上昇が維持され、ショックが軽減されることを示した。その説明は、スターリングの式により以前から明らかにされていた。それによると、毛細血管を通過する際に大きすぎて血漿から逃れられない分子は、細胞外液から循環に液体を戻すのに必要とされる浸透圧を生成する(ベイリスは、これにより血液の粘度が増加すると示唆した)。1917年11月、外傷性ショックの患者にガム-食塩水が注射され、回復した。しかし、1918年3月は、ガム-食塩水が前線に船で輸送される前だった。何人が治療されたかの記録は残っていない。ドイツでもガム-食塩水を採用したが、やはり結果の記録は残っていない。ベイリスは、この仕事の要約を著書に記した[10]

1919年、彼は、自身が全ての生物に共通の過程と定義したPrinciples of General Physiologyを著した[11]。この影響力のある著書は4版まで発行され、筆者の死後に息子のレオナルドとアーチボルド・ヒルにより改稿されて、1959-1960年に第5版が出版された。

ベイリスは、1924年にロンドンで死去した。

名誉等[編集]

ベイリスは、1903年6月に王立協会フェローに選出された[12]。1904年にスターリングとともに、The chemical regulation of the secretory processと題してクルーニアン講義(Croonian lecture)を行った。1911年にロイヤル・メダル、1919年にコプリ・メダルを受賞した。

医学への貢献に対し、1922年にナイトに叙された。

家族[編集]

息子のレオナルド・ベイリス(Leonard Ernest Bayliss、1901年-1964年)も生理学者であり[13]、父の後を継いで生理学の教科書を書いた[14]

出典[編集]

  1. ^ “Bayliss, William Maddock”. Who's Who 59: 114. (1907). https://books.google.com/books?id=yEcuAAAAYAAJ&pg=PA114. 
  2. ^ 1911 England Census
  3. ^ England, Oxford Men and Their Colleges, 1880-1892
  4. ^ Henderson, John (2005). A life of Ernest Starling. Oxford University Press. pp. 20-23. 
  5. ^ E, M, Tansey (2004). “Sir William Maddock Bayliss (1860-1924).”. In Matthew, H. G. C.; Harrison, Brian. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. 
  6. ^ Henderson 2005, pp. 46-49.
  7. ^ Henderson 2005, pp.54-58.
  8. ^ Bayliss, W. M. (1917). The physiology of food and economy in diet. London: Longmans, Green & Co. 
  9. ^ Van der Kloot, William (2010). “William Maddock Bayliss's therapy for wound shock”. Not. Rec. Roy. Soc, Lond. 64: 271-286. http://rsnr.royalsocietypublishing.org/content/64/3/271. 
  10. ^ Bayliss, W. M. (1919). Intravenous Injection in Wound Shock. London: Longmans, Green. 
  11. ^ Bayliss, William Maddock (1918). Principles of general physiology. London: Longmans Green & Co. 
  12. ^ Library and Archive Catalogue”. Royal Society. 2018年3月15日閲覧。
  13. ^ Former Fellows of The Royal Society of Edinburgh 1783 - 2002”. p. 66. 2018年4月10日閲覧。
  14. ^ Winton, Frank Robert; Bayliss, Leonard Ernest (1930). Human physiology. London: J. & A. Churchill. p. 583. 
  • Zarate, Arturo; Saucedo, Renata (2005), “[On the centennial of hormones. A tribute to Ernest H. Starling and William M. Bayliss]”, Gaceta Medica de Mexico 141 (5): 437-9, PMID 16353891 
  • Hirst, Barry H (2004), “Secretin and the exposition of hormonal control”, J. Physiol. 560 (Pt 2): 339, 15 October 2004, doi:10.1113/jphysiol.2004.073056, PMC: 1665254, PMID 15308687, http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pmcentrez&artid=1665254 
  • Modlin, I M; Kidd, M (2001), “Ernest Starling and the discovery of secretin”, J. Clin. Gastroenterol. 32 (3): 187-92, Mar 2001, doi:10.1097/00004836-200103000-00001, PMID 11246341 
  • Modlin, I M; Kidd, M; Farhadi, J (2000), “Bayliss and Starling and the nascence of endocrinology”, Regul. Pept. 93 (1-3): 109-23, 25 September 2000, doi:10.1016/S0167-0115(00)00182-8, PMID 11033058 
  • Svatos, J; Svatos, A (1999), “The divergence in the conception of Pavlov and Bayliss-Starling concerning the function of the nervous system”, Ceskoslovenska Fysiologie / Ustredni ustav Biologicky 48 (1): 22-6, Feb 1999, PMID 10377602 
  • Folkow, B (1989), “Myogenic mechanisms in the control of systemic resistance. Introduction and historical background”, Journal of Hypertension. Supplement : Official Journal of the International Society of Hypertension 7 (4): S1-4, September 1989, PMID 2681587 
  • Simmer, H H (1978), “[The discovery and the discoverers of secretin. A contribution to the history of science and to the typology of the scientist]”, Die Medizinische Welt 29 (50): 1991-6, 15 December 1978, PMID 364247 
  • Hill, A V (1969), “Bayliss and Starling and the happy fellowship of physiologists”, J. Physiol. 204 (1): 1-13, September 1969, doi:10.1113/jphysiol.1969.sp008894, PMC: 1351589, PMID 4900770, http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pmcentrez&artid=1351589 
  • Bayliss, L E (1961), “William Maddock BAYLISS, 1860-1924: life and scientific work”, Perspect. Biol. Med. 4 (4): 460-79, doi:10.1353/pbm.1961.0025, PMID 13688118 

外部リンク[編集]