アレクサンダー・ゲオルク・ブンゲ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • アレキサンドル・ゲオルク・ブンゲ
アレキサンドル・ゲオルク・ブンゲ

アレクサンダー・ゲオルク・ブンゲドイツ語: Alexander Georg von Bungeロシア語: Алекса́ндр Андре́евич Бу́нге, ラテン文字転写: Aleksandr Andreevich Bunge1803年10月6日 - 1890年7月18日)は、ドイツ系ロシア人植物学者である。アジアシベリアへの植物探検などで知られる。

略歴[編集]

現在のウクライナキエフに生まれた。祖父がドイツ東北部のプロイセンからロシアに移民して薬局を開いた家系である。兄のフリードリヒ・ゲオルク・ブンゲ(Friedrich Georg von Bunge)は歴史学者になった。タルトゥ大学(ドルパト大学)で医学を学び、1825年に博士号を得た。1826年に、大学の植物学教授、カール・フリードリヒ・レーデブーアが率いた、アルタイ山脈の植物調査の探検に、カール・アントン・マイヤーとともに参加した。1830年から1831年にロシア正教会の中国宣教団に同行し、北京へ旅した。この旅の間に収集した植物について、1931年に"Enumeratio plantarum, quas in China boreali collegit …", (Petersburg 1831)と"Plantarum mongolica-chinensium decas prima", (Kasan 1835)を発表した。1832年に再びアルタイを調査し、植物目録を作り、1834年にカザン大学の植物学の教授となった。1836年に引退したレーデブーアの後を継いで、ドルパト大学の植物学の教授、植物園の園長となった。1857年にもペルシャへの探検に参加し、カスピ海地域なども調査した。

息子のグスタフ・ブンゲ(Gustav von Bunge)は生理学者になり、アレクサンダー・ブンゲ(Alexander von Bunge、Alexandr Aleksandrowitsch Bunge)は軍医、動物学者となり、極地探検に参加し、古生物化石を収集した。

著作[編集]

  • Enumeratio plantarum, quas in China boreali collegit …, Petersburg 1831
  • Plantarum mongolica-chinensium decas prima, Kasan 1835
  • … Tentamen generis Tamaricum species accuratius definiendi, Dorpat 1852
  • Anabasearum revisio, Petersburg 1862
  • Generis Astragali species gerontogeae, Petersburg 1868–1869; 2 Teile
  • Labiatae persicae, Petersburg 1873

参考文献[編集]

Bungeは、植物の学名命名者を示す場合にアレクサンダー・ゲオルク・ブンゲを示すのに使われる。命名者略記を閲覧する/IPNIAuthor Detailsを検索する。)