アルフレート・ヴェンネンベルク

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アルフレート・ヴェンネンベルク
Alfred Wünnenberg
Bundesarchiv Bild 121-1395, Alfred Wünnenberg.jpg
アルフレート・ヴェンネンベルク、1942年
生誕 1891年7月20日
Flag of Germany (1867–1919).svg ドイツ帝国
ザールベルク
死没 1963年12月30日
Flag of Germany.svg ドイツ連邦共和国(西ドイツ
クレーフェルト
所属組織 War Ensign of Germany (1903–1919).svg ドイツ帝国陸軍
Ordnungspolizei flag.svg 秩序警察
Flag of the Schutzstaffel.svg 武装親衛隊
最終階級 親衛隊大将(SS-Obergruppenführer)
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アルフレート・ベルンハルト・ユリウス・エルンスト・ヴェンネンベルク(Alfred Bernhard Julius Ernst Wünnenberg、1891年7月20日1963年12月30日)は、ナチス・ドイツの警察高官、また親衛隊(SS)の将軍。第二次世界大戦前期には第4SS警察装甲擲弾兵師団第4SS戦車軍団を率いて勇戦した。後期には秩序警察(オルポ)長官代理を務めた。最終階級は親衛隊大将(SS-Obergruppenführer)、武装親衛隊大将(General der Waffen-SS)、警察大将(General der Polizei)。

経歴[編集]

ザールベルク出身。1913年2月にドイツ帝国陸軍に入隊。第一次世界大戦開戦までに下士官に昇進した。第一次世界大戦では西部戦線で戦い、1915年には中尉に昇進し、歩兵中隊指揮官に任じられた。1916年からは飛行機部隊のパイロットに選ばれ、偵察パイロットとして活躍した。

戦後、上シレジアで義勇軍(フライコール)に参加した。1920年9月に軍を去った。軍での最終階級は大尉であった。その後、プロイセン州警察に入隊。1920年4月からエッセンの警察学校で警察犬の指導員となった。ポツダムの警察学校でもインストラクターとして勤務。1924年2月に警察犬部隊の司令官となった。1926年にはクレーフェルトの警察学校、さらに1928年にはケルンの警察学校へ配属された。1928年5月からベルリンの警察の管理部に勤めた。1929年に結婚し、娘を一人儲けた。1933年5月に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に入党(党員番号222 2600)。1933年8月からビトムで警察守備隊の指揮官となった。1935年2月からザールブリュッケン、1937年10月からはブレーメンマンハイムで勤務した。1938年12月にはシュトゥットガルトの警察監督官となった。

1939年10月に第3SS警察狙撃兵連隊の司令官となった。この際に親衛隊(SS)に入隊し(隊員番号405,898)、親衛隊大佐の階級を与えられた。対フランス戦バルバロッサ作戦もこの連隊を率いて参加し、騎士鉄十字章を受章した。1941年11月5日にはヴァルター・クリューガーに代わって第4SS警察装甲擲弾兵師団の師団長に就任した。1942年4月には親衛隊少将警察少将に昇進するとともに柏葉章を受章した。1943年6月10日に第4SS戦車軍団の軍団長となり、8月31日まで在職した。1943年9月1日から病となった秩序警察長官クルト・ダリューゲに代わって秩序警察長官代理となった[1]。この座はドイツの敗戦まで保持している。1945年5月、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは最後の意思でヴェンネンベルクを後継者に指名している[2]。敗戦後の1946年、アメリカ軍に逮捕されてダッハウの米軍収容所で拘禁されたが、翌年には釈放された。1963年12月30日にクレーフェルトで死去した。

受章[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://www.lexikon-der-wehrmacht.de/Personenregister/W/WuennenbergA-R.htm
  2. ^ http://www.geocities.com/~orion47/SS-POLIZEI/SS-Ogruf_M-Z.html
  3. ^ Veit Scherzertyo著「Die Ritterkreuzträger 1939-1945」(Scherzers Militaer-Verlag, Ranis/Jena 2007)ISBN 978-3-938845-17-2, S.798


先代:
クルト・ダリューゲ
秩序警察長官(代理)
1943 - 1945
次代:
-