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さろま

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さろま
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 近海郵船
カメリアライン
ガーバン・ラインズ英語版
運用者 近海郵船
カメリアライン
ガーバン・ラインズ英語版
建造所 内海造船瀬戸田工場
姉妹船 ましう[1]
航行区域 近海[1]
船級 JG[1]
IMO番号 7426033
改名 さろま
カメリア
SUBIC BAY 1
経歴
起工 1975年3月5日[1]
進水 1975年7月11日[1]
竣工 1975年11月14日[2][1]
就航 1975年11月18日(近海郵船)[2]
1990年12月12日(カメリアライン)[3]
要目
総トン数 8,885 トン(竣工時)[2]
9,707 トン(カメリアライン時代)[4]
載貨重量 3,875 重量トン[2]
排水量 10,640 トン(満載時)[1]
全長 166.5 m[2]
垂線間長 155.0 m[2]
24.0 m[2]
型幅 24.1 m[1]
深さ 9.7 m[2]
満載喫水 6.3 m[2]
機関方式 ディーゼル
主機関 三菱-MAN V8V40/54 2基[2]
推進器 2軸[2]
最大出力 19,700馬力(連続)[2]
定格出力 16,740馬力[5]
最大速力 25.0 ノット[2]
航海速力 21.0 ノット(竣工時)[2]
21ノット(カメリアライン時代)[4]
航続距離 4,490海里[1]
旅客定員 445名(竣工時)[2]
628名(カメリアライン時代)[4]
乗組員 55名(竣工時)[1]
45名(カメリアライン時代)[4]
車両搭載数 8トントラック95台、乗用車75台[2]
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さろまは、近海郵船が運航していたフェリー。その後、カメリアラインで日韓航路にも就航した。

概要

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ましうに続く第三船として、内海造船瀬戸田工場で建造され、1975年11月18日に東京 - 釧路航路に就航した[2]

サブリナの就航に伴い1990年6月15日釧路発便をもって引退[6]カメリアラインへ売却されかめりあとなり、国際航路に対応する改造を受け、1990年12月に博多 - 釜山に就航した[3]

ニューかめりあの就航により、2004年6月14日で運航を終了した。

その後、海外売船され、フィリピンガーバン・ラインズ英語版SUBIC BAY 1として就航した。

就航航路

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近海郵船

本船の就航により、3隻を使用した毎日運航となり、釧路港のバースも西港へ移転した。その後、1977年オイルショックの影響によりましうが売却され、以後は本船とまりもによる3日に2便の運航となった。

設計

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旅客需給の状況から先に建造されたまりもと比較して旅客定員が削減されている。

国内のカーフェリーとしては初めて、IBM製の自動運航装置を搭載していた[2]。フィンスタビライザーにはブレーキ機能を搭載し停止性能を向上させた[5]

船室

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近海郵船時代
  • Bデッキ[5]
    • 特等室(2名 1室[7]
    • 一等室(3名×5室・4名×18室・5名×4室[7]
    • スナックバー[5]
    • レストラン - セルフサービス制を採用[5]
    • そばコーナー - 立ち食い制で近代的かつ和風のインテリアとした[5]
    • 案内所[8]
  • Cデッキ[5]
    • 二等室(和室8室・合計273名、グリーン室9名×4室・12名×1室[7]
    • ドライバー室(20名 1室[7]
    • エントランスホール - 寒冷地のイメージと相対する茶色のインテリアとした[5]
    • 大浴場[5]「さろま湯」[8]
    • 売店[5]
    • ゲームコーナー[5]
    • スモーキングルーム[8]
    • 乗用車搭載区画[5]
  • Dデッキ[5]
    • トラック搭載区画
カメリアライン時代[4]
  • Aデッキ
    • マルチホール
  • Bデッキ
    • レストラン(108席)
    • 特等室(2名×7室、1名・3名各2室)
    • 1等室(和室9名×4室・12名×1室、洋室4名×8室・3名×6室)
    • 案内所
    • 免税店
  • Cデッキ
    • 2等室(マス席15名×4室、14名×3室、28・23・22名各2室、40・6・5名各1室、リクライニングシート175席)
    • コーヒーショップ
    • 浴室
    • ゲーム室
    • 自販機コーナー
    • カード・マージャンルーム

事故・インシデント

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船底浸水

1978年2月27日午後3時頃、釧路港南西約23km沖を航行中、エンジン冷却水を取り入れる船底バルブに氷が詰まり除去作業を行っていた所バルブ操作を誤り海水が噴出、発電機2基が浸水し航行不能となり釧路市と地元海運業者のタグボートが曳航を行い午後8時に釧路港へ引き返した[9]

貨物船衝突

1988年8月7日、8時6分ごろ、釧路港の第1埠頭西側7号岸壁へ接岸する際、同5号岸壁に接岸していた貨物船フォレスト・ソブリンに衝突した。衝突により本船は右舷船首部のブルワークとハンドレールを曲損、フォレスト・ソブリンは船尾部左舷外板に擦過傷を生じた。事故発生時、が出ており視程は約300mだった。また、くしろ港まつりの港内ヨットレース開催により航泊禁止区域が設定されるため、早着する予定だったこと、フォレスト・ソブリンが本船の着岸を待って出港する予定だったことから、本船は着岸を急いでいた。事故原因は、さろまの操船不適切とされた[10]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 新造船写真集 自動車航送旅客船 さろま SAROMA 日本郵船株式会社 近海郵船株式会社 - 船の科学1975年12月号
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 世界の艦船(1976年1月号,p150)
  3. ^ a b 経済日誌 12/12博多~釜山定期フェリー就航 - 福岡銀行調査月報1991年1月号(福岡銀行)
  4. ^ a b c d e 客船紹介定期船 カメリアライン株式会社かめりあ - マリンブルー・ファンタジー客船新時代の船旅(日本外航客船協会 1991年)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 内海造船株式会社「長距離カーフェリー"さろま"」 - 船舶1976年3月号
  6. ^ 就航から15年地球を916周 見送り受けラスト航海カーフェリー「さろま」 - 釧路新聞1990年6月15日
  7. ^ a b c d 市來清也「長距離フェリーの動向と課題」『流通問題研究』第18巻、流通経済大学、1991年10月、1-26頁、2018年5月14日閲覧 
  8. ^ a b c 郵船フェリーさろま客室配置図 - 近海郵船
  9. ^ カーフェリー浸水、航行不能 - 北海道新聞1978年2月28日朝刊
  10. ^ 函館地方海難審判庁 (17 August 1989). 平成元年函審第24号 旅客船さろま貨物船フォレスト・ソブリン衝突事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年2月19日閲覧