コンテンツにスキップ

「ヘイウッド・L・エドワーズ (駆逐艦)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Hatabon (会話 | 投稿記録)
英語版より加筆
1行目: 1行目:
{| class="wikitable" style="clear:right; float:right; margin: 0em 0em 1em 1em; width: 300px; background:#ffffff"
'''ヘイウッド・L・エドワーズ'''('''USS Heywood L. Edwards, DD-663''')は、[[アメリカ海軍]]の[[駆逐艦]]。[[フレッチャー級駆逐艦]]の一隻。艦名は大戦初期にUボ攻撃で戦死したヘイウッド・L・エドワーズ少佐にちなむ。
|colspan="2"|[[Image:USS Heywood L. Edwards;0566303.jpg|300px|]]

|-
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|艦歴
|-
|発注:
|
|-
|起工:
|[[1943年]][[7月4日]]
|-
|進水:
|[[1943年]][[10月6日]]
|-
|就役:
|[[1944年]][[1月26日]]
|-
|退役:
|[[1946年]][[7月1日]]
|-
|その後:
|[[1959年]][[3月10日]]、[[海上自衛隊]]に貸与
|-
|除籍:
|[[1974年]][[3月18日]]
|-
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|性能諸元
|-
| style="white-space:nowrap;" |[[排水量]]:
|2,050 トン
|-
|全長:
|376 ft 6 in (114.7 m)
|-
|全幅:
|39 ft 8 in (12.1 m)
|-
|吃水:
|13 ft 9 in (4.2 m)
|-
|機関:
|2軸推進、60,000 shp (45 MW)
|-
|最大速:
|35[[ノット]] (65 km/h)
|-
|航続距離:
|6,500[[海里]] (12,000 km)<br />(15ノット時)
|-
|乗員:
|319名
|-
|兵装:
|38口径5インチ砲5門<br />40mm対空砲4門<br />20mm対空砲4門<br />21インチ[[魚雷発射管]]10門<br />爆雷軌条2基
|}
'''ヘイウッド・L・エドワーズ''' ('''USS Heywood L. Edwards, DD-663''') は、[[アメリカ海軍]]の[[駆逐艦]]。[[フレッチャー級駆逐艦]]の一隻。艦名は駆逐艦[[ルベン・ジェームズ (駆逐艦)|ルーベン・ジェームズ]] (''USS Reuben James, DD-245'') 艦長として戦死した[[ヘイウッド・L・エドワーズ]]少佐にちなむ。


==艦歴==
==艦歴==
[[1944]][[126]]、[[マサチューセッツ州]][[ボストン海軍工廠]]で工。
ヘイウッド・L・エドワーズは194374[[マサチューセッツ州]][[ボストン]]の[[ボストン海軍工廠]]でする。1943年10月6日にルイーズ・S・エドワーズ(エドワーズ少佐の母親)によって命名、進水し、1944年1月26日に艦長J・W・ボールウェア中佐の指揮下就役した


===第二次世界大戦===
太平洋艦隊に配属され、J・W・ボールウェア中佐の指揮下で就役する。
ヘイウッド・L・エドワーズは2月25日から[[バミューダ]]沖で整調を始め、[[メイン州]]の沖合で砲撃訓練を行った後[[太平洋艦隊 (アメリカ海軍)|太平洋艦隊]]に合流した。4月16日にボストンを出航し[[パナマ運河]]を通過、[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]に停泊した後5月8日に[[真珠湾]]に到着した。


{{節stub}}
戦後[[1946年]][[7月1日]]退役し、[[モスボル]]状態で凍結されていたが、[[1954年]][[3月8日]]の[[日米艦艇貸与協定]]に基づき[[1959年]]僚艦[[リチャード・P・リアリー]]とともに日本の[[海上自衛隊]]に貸与され以後[[1960年]]から15年間海上自衛隊の護衛艦[[ありあけ型護衛艦|ありあけ]]として就役した。

ヘイウッド・L・エドワーズは8月2日に[[レイテ島]]を出航し、[[サイパン]]、[[エニウェトク環礁]]で停泊後8月29日に再び出航する。1945年9月6日に[[大湊 (むつ市)|大湊]]に到着、占領任務に従事する。10月22日に同港を出港し帰国の途に就く。真珠湾を経由し、11月10日に[[シアトル]]に到着、1946年7月1日に退役する。ヘイウッド・L・エドワーズは太平洋予備役艦隊ロングビーチ・グループ入りした。

===海上自衛隊で===
ヘイウッド・L・エドワズは[[1954年]][[3月8日]]の[[日米艦艇貸与協定]]に基づき[[1959年]]3月10日に僚艦[[リチャード・P・リアリー]]とともに日本の[[海上自衛隊]]に貸与され以後[[1960年]]から15年間海上自衛隊の護衛艦[[ありあけ型護衛艦|ありあけ]] (DD-183) として就役した。

[[1974年]][[3月9日]]海上自衛隊を退役しアメリカ海軍に返還された。その後[[1976年]]スクラップとして売却、解体された。

ヘイウッド・L・エドワーズは[[第二次世界大戦]]の戦功で7個の従軍星章を受章し、1944年から45年の上陸戦における功績で殊勲部隊章を受章した。


[[1974年]][[3月9日]]海上自衛隊を退役しアメリカ海軍に返還された。その後[[1976年]]スクラップとして売却、解体された。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[アメリカ海軍艦艇一覧]]
* [[アメリカ海軍艦艇一覧]]

== 外部リンク ==
*[http://www.destroyerhistory.org/fletcherclass/ussheywoodledwards/index.html USS ''Heywood L. Edwards'' home page] at [http://www.destroyerhistory.org/index.html Destroyer History Foundation]
*[http://history.navy.mil/danfs/h6/heywood_l_edwards.htm history.navy.mil: USS ''Heywood L. Edwards'']
*[http://www.navsource.org/archives/05/663.htm navsource.org: USS ''Heywood L. Edwards'']
*[http://www.hazegray.org/danfs/destroy/dd663txt.htm hazegray.org: USS ''Heywood L. Edwards'']



{{フレッチャー級駆逐艦}}
{{フレッチャー級駆逐艦}}


[[Category:アメリカの駆逐艦|へいうつとえるえとわあす]]
[[Category:フレッチャー級駆逐艦|へいうつとえるえとわあす]]


{{Warship-stub}}
{{Warship-stub}}

2008年3月16日 (日) 11:09時点における版

艦歴
発注:
起工: 1943年7月4日
進水: 1943年10月6日
就役: 1944年1月26日
退役: 1946年7月1日
その後: 1959年3月10日海上自衛隊に貸与
除籍: 1974年3月18日
性能諸元
排水量: 2,050 トン
全長: 376 ft 6 in (114.7 m)
全幅: 39 ft 8 in (12.1 m)
吃水: 13 ft 9 in (4.2 m)
機関: 2軸推進、60,000 shp (45 MW)
最大速: 35ノット (65 km/h)
航続距離: 6,500海里 (12,000 km)
(15ノット時)
乗員: 319名
兵装: 38口径5インチ砲5門
40mm対空砲4門
20mm対空砲4門
21インチ魚雷発射管10門
爆雷軌条2基

ヘイウッド・L・エドワーズ (USS Heywood L. Edwards, DD-663) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名は駆逐艦ルーベン・ジェームズ (USS Reuben James, DD-245) の艦長として戦死したヘイウッド・L・エドワーズ少佐にちなむ。

艦歴

ヘイウッド・L・エドワーズは1943年7月4日にマサチューセッツ州ボストンボストン海軍工廠で起工する。1943年10月6日にルイーズ・S・エドワーズ(エドワーズ少佐の母親)によって命名、進水し、1944年1月26日に艦長J・W・ボールウェア中佐の指揮下就役した。

第二次世界大戦

ヘイウッド・L・エドワーズは2月25日からバミューダ沖で整調を始め、メイン州の沖合で砲撃訓練を行った後太平洋艦隊に合流した。4月16日にボストンを出航しパナマ運河を通過、カリフォルニア州サンディエゴに停泊した後5月8日に真珠湾に到着した。

ヘイウッド・L・エドワーズは8月2日にレイテ島を出航し、サイパンエニウェトク環礁で停泊後8月29日に再び出航する。1945年9月6日に大湊に到着、占領任務に従事する。10月22日に同港を出港し帰国の途に就く。真珠湾を経由し、11月10日にシアトルに到着、1946年7月1日に退役する。ヘイウッド・L・エドワーズは太平洋予備役艦隊ロングビーチ・グループ入りした。

海上自衛隊で

ヘイウッド・L・エドワーズは1954年3月8日日米艦艇貸与協定に基づき、1959年3月10日に僚艦リチャード・P・リアリーとともに日本の海上自衛隊に貸与され、以後1960年から15年間海上自衛隊の護衛艦ありあけ (DD-183) として就役した。

1974年3月9日海上自衛隊を退役しアメリカ海軍に返還された。その後1976年にスクラップとして売却、解体された。

ヘイウッド・L・エドワーズは第二次世界大戦の戦功で7個の従軍星章を受章し、1944年から45年の上陸戦における功績で殊勲部隊章を受章した。


関連項目

外部リンク