除法
算術において除法(じょほう、除算、割り算とも、division)とは、自然数あるいは整数同士の間に定義される四則演算(加・減・乗・除)のひとつである。一般に除法と呼ばれる演算には二種類あり、ひとつは乗法の逆演算と考えるべきもの、いま一つは累次減法と考えるべきもの[1]である。本項では主として前者の意味での除法を扱う。後者について詳細は除法の原理およびユークリッド環を参照せよ。
初等的な数学教育手法では、整数の除法の場合その意味から等分除と包含除の 2 種類に分類される。ある量が「基準となる量」の「幾つ分」に除されるかを考えるとき、「基準となる量」を求めるのが等分除、「幾つ分」になるかを求めるのが包含除である。
数学においては、乗法を持つ代数的構造について「逆元を掛けること」として除法を考えることができる。一般には乗法が可換であるとは限らないため、除法も左右 2 通り考えられる。
初等教育における除法
除法には、等分除と包含除という2種類の除法があるという主張がある。
たとえば、「20個のリンゴを5人に均等に分配すると、おのおのに何個ずつ配ることになるか。」という問題と「20個のリンゴをおのおのに5個ずつ分配すると、何人に配れるか。」という問題では、問題の性格が異なるというのである。この流儀では、前者を等分除、後者を包含除と呼んで区別する。
除法は乗法の逆算であると考えることができるが、乗法を
- [1あたりの量] × [いくつ分] = [全体の量]
と定式化すると、等分除とは1あたりの量を求める操作であり、包含除とはいくつ分を求める操作であるというのである。
しかしながら、等分除と包含除の区別、1あたりの量といくつ分の区別はあくまでも感覚的なものであり、明確に区別できるものではない。算数・数学教育において、このような曖昧で感覚的な区別を指導するのは不適切であるという主張が存在する。
20個のリンゴを5人に均等に分配する方法を考えてみよう。等分除と包含除を区別する流儀だと
- [1人あたりの個数] × 5人 = 20個
となり、1あたりの量を求める等分除のようにみえる。しかしながら、以下のように考えることもできる。
リンゴをおのおのに1個ずつ配る。全員に1個ずつ配るには5個のリンゴが必要である。これを4回繰り返せば20個のリンゴを全員に均等に分配することができる。
- 5個 × [配る回数] = 20個
となり、いくつ分を求める包含除となる。
日常生活において均等にものを分配する場面ではどちらの方法も行なわれており、いずれも不自然な方法であるとは言えない。特に数量感覚が発達していない幼児期においては、後者の方法がふつうのやり方である場合もあり得る。
結局、20個のリンゴを「4個ずつのまとまりが5つある。」と捉えても「5個ずつのまとまりが4つある。」と捉えても、20個のリンゴがあることに変わりはないということなのである。「4個ずつのまとまりが5つあるから、5人全員に4個ずつ配ることができる。」と考えるか、「5個ずつのまとまりが4つあるから、5人全員に4個ずつ配ることができる。」と考えるかの違いにすぎない。等分除と包含除の区別は感覚的で曖昧なものである。等分除とは何か、包含除とは何かを定義することは現実には不可能である。
教育的な配慮として、乗除算の理解を深めるためには、初歩的な除法の文章題を等分除と包含除に分類して両者をまんべんなく出題することが有効であると考えられている。
しかしながら、児童に等分除と包含除の区別があるかのように指導すればかえって誤解をまねくことがあり、等分除と包含除の区別はあくまでも便宜上のものと考えるべきであるという主張がなされている。
定義
整数 m と n に対して、m = qn を満たす整数 q が唯一つ定まるとき、m ÷ n = q, q = m/n などと表して、m は n で整除(せいじょ)される、割り切れる(わりきれる、divisible)あるいは n は m を整除する、割り切るなどと言う。
またこのとき、m を被除数(ひじょすう、dividend)あるいは実(じつ)といい、n を除数あるいは単に法(ほう、divisor, modulus)といい、q を商(しょう、quotient)と呼ぶ。またこれらを合わせて m を n で割った商は q である、m の n を法とする商、あるいは法 n に関する商 (quotient modulo n) などとも言う。
m が n で割り切れない場合にも、剰余(じょうよ、remainder, residue; 余り)の概念を導入して除法を(0 で割ることを除いて)整数全体での演算に拡張することができる。具体的には、整数 m を n で割ったとき、整商が q で剰余が r であることを
- m = qn + r かつ 0 ≤ r < n
が満たされることであると定義する。これは、感覚的には被除数から除数を引けるだけ引いた残りを剰余と定めているということである。「r は m の n を法とする(法 n に関する)剰余 (residue modulo n) である」などのように法を明示することもある。
このような整数 q, r は、m, n によって唯一組にきまる(除法の原理)。また、この等式が成り立つことを除算記号 ÷ と記号 … を用いて
- m ÷ n = q … r
とあらわす。
また、 m = qn + r だが 0 ≤ r < n とは限らない r も剰余と呼ぶことがあり、 r が正の場合はこれを正剰余と呼び、負の場合は負剰余と呼ぶ。剰余としては 0 ≤ r < n を満たす r とする最小非負剰余を用いるのが一般的であり、通常、余りとは最小非負剰余のことである。 m = qn + r が -n/2 ≤ r < n/2 を満たす r は絶対値最小剰余と呼ぶ。
与えられた被除数と法数から商と剰余を計算することを割り算、除算などという。また、その計算法を指して除法という。
有理数の除法
上では考えている数(自然数もしくは整数)の範囲内で商を取り直し剰余を定義することにより、除法をその数の範囲全体で定義することができることを述べた。しかしよく知られているように、数の範囲を有理数まで拡張し、商のとり方に有理数を許すことにより、剰余の概念は取り除かれ、有理数の全体で四則演算が自由に行えるようになる。ただし、0 で割ることは常に許されない。
整数 m と n について m が n で整除されない場合にも、m の n を法とした商を m/n などと記して用いる(分数表記)。分数表記を用いた有理数の表示は一意的ではない。
このような意味で四則演算が自由に行える集合の抽象化として体の概念が現れる。すなわち、有理数の全体が作る集合 Q は体である。
実数の除法
実数は有理数の極限として表され、それによって有理数の演算から実数の演算が矛盾なく定義される。すなわち、任意の実数 x, y (y ≠ 0) に対し xn → x, yn → y (n → ∞) を満たす有理数の列 {xn}n∈N, {yn}n∈N (例えば、x, y の小数表示を第 n 桁までで打ち切ったものを xn, yn とするような数列)が与えられたとき
と定めると、この値は極限値が x, y である限りにおいて数列のとり方によらずに一定の値をとる。これを実数の商として定めるのである。
複素数の除法
実数の除法を用いれば複素数の除法が、任意の複素数 a + ib, c + id (ただし c と d は同時には 0 にならない)に対して
として定義できる。極形式では
と書ける。やはり |w| = 0 つまり w = 0 のところでは定義できない。
0で割ること
- 詳細は「ゼロ除算」を参照
代数的には、除法は乗法の逆の演算として定義される。つまり a を b で割るという除法は
を満たす唯一つの x を与える演算でなければならない。ここで、唯一つというのは簡約律
が成立するということを意味する。この簡約律が成立しないということは、bx = by という条件だけからは x = y という情報を得たことにはならないということであり、そのような条件下で強いて除法を定義したとしても益が無いのである。
実数の乗法において、簡約が不能な一つの特徴的な例として b = 0 である場合、つまり「0 で割る」という操作を挙げることができる。実際、b = 0 であるとき a = bx によって除法 a ÷ b を定めようとすると、もちろん a = 0 である場合に限られるが、いかなる x, y についても 0x = 0 = 0y が成立してしまって x の値は定まらない。無論、a ≠ 0 ならば a = 0x なる x は存在せず a ÷ b は定義不能である。つまり、実数のもつ代数的な構造と 0 による除算は両立しない。
関連項目
注記
- ^ 吉田好九郎 訳『高等代数学』大日本図書、1919年。 (Google books):原著Henry Burchard Fine (1905). College Algebra. Amer. Math. Soc. (Google books)