野又貞夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。き よ 咲 さ き (会話 | 投稿記録) による 2022年6月17日 (金) 01:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

野又 貞夫(のまた さだお、1901年明治34年) - 1976年昭和51年))は、日本商学者・学校経営者・政治家だった人物。 学校法人野又学園初代理事長。数多くの学校長を務めた。北海道旭川市出身。子に野又肇がいる。

略歴

受賞歴

主著

  • 『女子実業読本』(1933年(昭和8年))
  • 『新式簡易家計簿』(1937年(昭和12年))
  • 『解道自楽』(1970年(昭和45年))
  • 『清流を求めて』(1975年(昭和50年))
  • 『私の読むスケッチ』(1976年(昭和51年))

脚注


参考文献

  • 大野和雄編『創立二十周年記念函館大学史』(函館大学、1986年)
  • 『北海道人物・人材リスト 2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)
先代
-
学校法人野又学園理事長
初代: 1951年 - 1976年
次代
野又肇
先代
服部喜作
函館短期大学学長
第4代: 1963年 - 1676年
次代
吉村克二
先代
-
函館大学学長
初代: 1965年 - 1976年
次代
村田喜一
先代
-
社会福祉法人貞信福祉会理事長
初代: 1972年 - 1976年
次代
野又肇