軽井沢銀山

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軽井沢銀山(かるいざわぎんざん)は、かつて福島県河沼郡柳津町軽井沢(当時は大沼郡軽井沢村)にあった銀山(現在は閉山)である。

戦国時代後期から明治時代中期にかけて採掘されていた日本屈指の銀山であり、江戸時代飢饉による閉山の際などは会津藩が手厚く保護し、その後も藩の台所の一翼を担い続けた。最盛期には、1000戸の家々が軒をつらね、郵便局や遊郭もあった。銀が100貫とれた年は櫓が建てられ、「月が出た出た銀山峠 煙でよごれて化粧なおし 月が出たよだ銀山峠 さぞや馬子さんあかりかろ」と踊りがたったという。昭和に入って日本鉱業によって再調査されたが、事業再開には至っていない。今でこそ「軽井沢」と書くが古くは「軽ィ沢」と書いていたが、西会津町の「軽沢(かるさわ)」と紛らわしいため今の字を当てたという。

場所・生産量・鉱脈

流紋岩体中央部のケイ化および粘土化した部分に網状に走る鉱脈で、西側の梵天鉱脈は南北に200m・幅150m・深さ200m、東側の銀盛鉱床は延長50m・幅50m・深さ50mの鉱画を有する。ともに鉱石は黄鉄鉱閃亜鉛鉱方鉛鉱を主に輝銀鉱も産する。

歴史

銀山街道

江戸時代、銀山から若松城下へ産出した銀の運搬はもちろん、城下から資材・塩を運ぶための道路であり、現在の会津若松市大町札の辻を起点として軽井沢銀山を経由し奥会津只見町小林(伊北郷)まで18里(約72KM)の街道であるが、もともとは伊南・伊北街道と称されていた。途中には下荒井・逆瀬川(佐賀瀬川)など主な宿場もあり繁栄したという。

街道は、会津若松市大町・札の辻から西へ伸び、現・福島県道59号会津若松三島線とほぼ一致する[1]、御旗町(おはたまち) - 柳原町 - 蟹川橋 - 下荒井宿 - 銀山橋 - 四軒茶屋 - 会津美里町 中田(根岸駅付近) - 新鶴温泉付近(道標あり) - 逆瀬川宿 - 松坂 - 松坂峠 - 柳津町軽井沢宿 - 銀山札の辻 - 銀山峠(西勝峠) - 五畳敷(ごじょうじき)-「西山温泉砂子原(すなごはら)宿」 - 大谷峠 - 大谷宿 - 間方 - 美女峠 - 昭和村野尻宿 - 吉尾峠(よしゅうとうげ) - 只見町布沢宿(ふざわ)を経て小林宿で沼田街道へ繋がっていた。

なお別な古地図には、会津美里町「逆瀬川」- 槻曽根(つきのそね) - 柳津町「軽井沢」のルートが存在するため、1840年ころまでは銀山古道ともいうべき山越えの別ルートだったことが考えられる。

御巡見街道

江戸時代、計9回にわたり、江戸幕府からお蔵入り領である田島村を経て、時計周りに諸国巡見使が入ったことが知られている。ルートとしては、田島宿~国道289号~小林宿から銀山街道~吉尾峠~野尻宿~美女峠~大谷宿~大谷峠~砂子原宿~銀山峠~軽井沢銀山~柳津~塔寺宿~坂下宿~若松城下となる。軽井沢銀山から逆瀬川・下荒井を経由したことは書かれていないため特に御巡見街道と記した。

銀山新道

明治時代に、大島高任・古河市兵衛らが採掘を再開したわけであるが、三島通庸知事が会津三方道路に着手すると、かつての下野街道が通らなくなって危機感をいだいた材木町、飯寺らの有志が、銀山から赤留峠・高田町(国道401号)を経由したほうが若松市内を結ぶ最短であることに目をつけ推進したのが銀山新道である。市内 - 飯寺(にいでら) - 高田橋 - 古舘(ふるだて) - 高田 - 赤留(あかる) - 中ノ山 - 二岐(ふたまた) - 市野 - 軽井沢(軽井沢以西は上に同じ)のルートで、1889年(明治22年)に整備されたものである。特に高田橋から旧会津高田町入口までは、正確に測量されたため当時にはありえないほど一直線である。共益碑記念碑は会津若松市北会津町の消防署小松出張所脇に残されている。

遺構

現在、坑道は閉鎖され建物はほとんど取り壊されて、巨大なレンガ製の溶鉱炉煙突のみが当時の威容を物語っているが、煙突上部の崩壊が始まっており接近は危険である[2]

関連項目

奥会津

脚注

  1. ^ 『歩く県道(銀山街道)』 (PDF) - 福島県会津若松建設事務所
  2. ^ (歴史回廊あいづ《建築》・軽井沢銀山溶鉱炉の大煙突 - 福島県会津若松建設事務所

参考文献

  • 北会津村閉村記念誌p177(会津若松市)
  • 会津大事典p162(国書刊行会)
  • 北会津村の文化財総集編前編p114,115,116,117(北会津村教育委員会)
  • 会津の宿場p15(歴史春秋社)
  • 会津の峠・下p195(歴史春秋社)
  • 古河市兵衛と会津の軽井沢銀山p35-36(佐藤一男著)

座標: 北緯37度28分25.9秒 東経139度44分27.1秒 / 北緯37.473861度 東経139.740861度 / 37.473861; 139.740861