赤塚忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Be half 'nd half (会話 | 投稿記録) による 2022年10月2日 (日) 06:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (リンク等)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

赤塚 忠
人物情報
生誕 (1913-04-09) 1913年4月9日
日本の旗 日本茨城県
死没 1983年11月28日(1983-11-28)(70歳)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 東洋史東洋学(中国古代思想)
研究機関 東京大学
学位 文学博士
テンプレートを表示

赤塚 忠(あかつか きよし、1913年大正2年〉4月9日 - 1983年昭和58年〉11月28日)は、日本中国思想研究者。専門は中国古代思想。学位は、文学博士東京大学論文博士・1962年)(学位論文「周代文化の研究」)。東京大学名誉教授

経歴 

1913年、茨城県生まれ。1936年、東京帝国大学支那哲学科卒業、二度応召して中国大陸に赴き、陸軍大尉として敗戦を迎える。その間神戸商業大学予科に勤務した。

戦後は1955年より東京大学文学部助教授となり、1964年より教授。加藤常賢の後任として甲骨金石文を研究、『古代中国の宗教と文化』(1977年)を主著とする。1962年に東京大学に学位論文「周代文化の研究」を提出して文学博士の学位を取得。1974年に定年退官する。1983年11月28日死去。

日本中国学会理事長等を歴任するなど、日本を代表する中国思想・哲学・文学研究者として、世界的に知られた[1]

栄典 

正四位、叙勲三等旭日中綬章

著書 

赤塚忠の著作は、『赤塚忠著作集』全7巻としてまとめられている。

  • 『研究漢文』 旺文社, 1973年
  • 易経明徳出版社〈中国古典新書〉, 1974年
  • 『中国古代の宗教と文化 殷王朝の祭祀』 角川書店, 1977年
  • 石鼓文』 明徳出版社〈中国古典新書〉, 1986年
  • 『赤塚忠著作集』 研文社(全7巻), 1986-1989年
  1. 『中国古代文化史』
  2. 『中国古代思想史研究』
  3. 『儒家思想研究』
  4. 『諸子思想研究』
  5. 詩経研究』
  6. 楚辞研究』
  7. 『甲骨・金文研究』

共編著 

訳注

脚注

  1. ^ 徐志啸,石川三佐男「赤塚忠先生的楚辞研究 : 兼論楚文化的起源発展及其特点」『秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要』第26巻、秋田大学教育文化学部、2004年4月、88-99頁。