豊橋空襲

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戦災地域図(太線は復興事業施工区域)

豊橋空襲(とよはしくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年6月19日深夜から20日未明にかけ、愛知県豊橋市に対して行われた、ボーイングB-29戦略爆撃機による空襲

この夜は他にも福岡福岡大空襲)、静岡静岡大空襲)が空襲を受けている。市街地の多くが殲滅に近いほどに焼失したため、空襲直後は豊橋駅の東口から現在の豊橋鉄道東田本線が通る東八町電停から東田坂上電停の坂が肉眼で見えるほどであった。

被害状況

  • 被災世帯数 16009世帯。
  • 被災人口 68502人
  • 死者 624人
  • 重軽傷者 346人
  • 全焼、全壊家屋 15886戸(市街地の約70%が焼失)

主な被災地

関連項目