試し斬り

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試し斬り(ためしぎり)とは、刀剣を用いて巻藁おもて)や青竹等を木製ないしは、金属製の台や土(土段)の上に乗せ袈裟あるいは真向あるいは真横(胴斬り)に切り抜くこと。

転じて日本武術居合術武道抜刀道居合道にて行われる練習の一つ。試斬とも呼ばれ、江戸時代には様斬とも書かれた[1]。また試斬専門の流派団体もある。純粋に刀の切れ味を試すための試刀術もある。

巻き藁(畳おもて1畳巻×7)袈裟斬り

手法

試斬台に立てた巻き藁(畳おもて1畳巻)

使用されるものは、主に、巻藁である。現代では、1畳分、または半畳分の使用済み畳おもてを巻き、紐で縛ったり、輪ゴムで止めたりしたものが使われる場合が多い。 それを、一昼夜あるいは、数日水につけておき、台上の杭に突き刺す。その巻き藁に対して、日本刀を使用して、正しい斬撃が行えるかを確かめるものである。他に竹、新聞紙、ダンボールなどが使われることもある。

一番有名なものは、対象に対して、40 - 45度ほどの角度で斜めに斬りつける袈裟と呼ばれる斬り方であり、相手を人間と考えた場合、肩口・脇下より斬りつける技法である。

他にも流派、団体によって様々な切り方がある。ちなみに水平に切る横一文字が一番難しい。

試し斬り用の巻藁の種類

竹入り巻藁
斬る練習を正しく行いたい場合には巻き藁の中心に、青竹の芯を入れたものを使用する。その理由は青竹は骨の硬さに相当し、藁の部分は肉の硬さに相当するために人を正しく斬る練習になる。青竹入りの巻き藁を正しく斬れた場合には人間の首を落とすことが可能であるという説が存在するのもそのためである。習熟すれば地面に直に置いた巻き藁も斬ることができる。
畳表のみの巻藁
半畳分の使用済み畳おもてを巻き、紐で縛ったり、輪ゴムで止めたりした巻藁。斬り易い巻藁であり、多少日本刀で斬り方(刃筋)が曲がっていたとしても斬れる巻藁である。
巻藁ではないが試し斬りによく使われる。骨の硬さに似たものとして使用されている。

その他の変わった手法

ほかには、巻き藁数本を縦に並べ、真上から切り下ろす方法や、ぴったりと横や縦一列に並べ、それらをまとめて斬るというものもある。その多くが、演舞用の物であり、見物者によりインパクトを与えるためである場合がほとんどである。変わったものでは、鉄兜を台の上に置き、それを、日本刀で斬りつける兜割りという試斬がある。これは榊原鍵吉による明治20年(1887年)の天覧兜割が有名である。鍵吉は明治天皇の御前で警視庁撃剣世話掛逸見宗助上田馬之助と兜割試合を行い、勝利している。

通常、日本刀が折れ飛ぶのが当たり前と思われるが、高段者においては、半ば以上まで切り込む人も多く、中には、中国製の鉄製兜2つをまとめて叩き割った者も居る。

なお、兜割りについて高野佐三郎は、兜が中空のままでは刀が兜に弾かれて斬り難いので、蒸かしたおからを兜の中に詰めておくと上手く行くと述べている。

高度な試し斬りとして「戻し斬り」がある。大根など、野菜の斬り口の組織を全く潰すことなく斬る。真っ二つにしても、くっつけることで元に戻る。名刀と達人が揃って成し得る。とは言うものの繊維を壊さず物を切ることなど物理的に不可能であり、切り口が綺麗に通っているか確認する物であった。

試斬と試刀術の差違について

現在では、「日本刀を使用する武術」という共通点のため、居合道、居合術、試刀術がそれぞれ混同されてしまっているが、厳密には違うものである。なおこれに加え江戸時代の三尺以上の長尺物を抜きはなってみせる、お祭りなどで行われる大道芸居合抜きが実態がなくなったため混同される。

試刀術は、日本刀の利鈍を判断するため、据え物や、人体「罪人や遺体」を実際に斬ってみるという技法である。しかし現在で人体で試斬することはありえない。

その他

豚肉の枝肉や鉄筋、鉄板を切ったり、中国武術の剣などで行なわれてもいる。日本刀の場合枝肉であれば大腿骨や腰骨以外は両断した例がある。

歴史

日本刀は1本1本が手作りの鍛造品であり、名手とよばれる刀工の手によるものであっても品質や性格には違いがあり、実用に堪えるものか装飾的美麗さにとどまるものかは実際に試して見なければ分からない。

江戸時代以前には人体が試し切りの対象として用いられた。戦国時代ルイス・フロイスの報告書においても、ヨーロッパにおいては動物を使って試し斬りを行うが、日本人はそういうやり方を信用せず、必ず人体を用いて試し斬りを行っているという記述がある。

徳川幕府の命により刀剣を試し切りする御用を勤めて、その際に罪人の死体を用いていた山田浅右衛門家等の例がある。また大坂町奉行所などには「様者」(ためしのもの)という試し切りを任される役職があったことが知られている。その試し切りの技術は「据物」(すえもの)と呼ばれ、俗には確かに忌み嫌われていた面もあるが、武士として名誉のあることであった。

なお、その試し切りの際には、一度に胴体をいくつ斬り落とせるかが争われたりもした。例えば3体の死体なら「三ツ胴」と称した。記録としては「七ツ胴」程度までは史実として残っている。

据物斬は将軍の佩刀などのために、腰物奉行らの立会いの元、特に厳粛な儀式として執り行われた。本来、こうした御用は、本来は斬首と同様に町同心の役目とされていたが、実際には江戸時代中期以後、斬首・据物斬を特定の者が行う慣例が成立し、徳川吉宗の時代以後、山田浅右衛門家の役目とされた。なお、山田朝右衛門が斬首を行う際に、大名・旗本などから試し斬りの依頼を受け、その刀を用いて斬首することがあったという[2]。 その方法は、地面にタケの杭を数本、打ち立て、その間に死体をはさんで動かないようにする。僧侶、婦女、賎民、廃疾者などの死体は用いない。死体を置き据えるときは、死体の右の方を上に、左の方を下にして、また、背中は斬る人のほうに向ける。刀には堅木のつかをはめ、重い鉛のつばを加える。斬る箇所は、第1に摺付(肩の辺)、第2に毛無(脇毛の上の方)、第3に脇毛の生えた箇所、第4に一の胴、第5に二の胴、第6に八枚目、第7に両車(腰部)である。以上の箇所を斬ってその利鈍を試みるのである。二つ胴、三つ胴などというのは、死体を2箇以上重ねて、タケ杭の間にはさんでおいて試みるのである。

脚注

  1. ^ 吉川弘文館国史大辞典』「様斬(ためしぎり)」(重松一義)および平凡社日本史大事典』「様斬(ためしぎり)」(加藤英明)
  2. ^ 『日本史大事典』

関連項目

外部リンク