秋葉知一

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秋葉 知一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県四日市市
生年月日 (1982-09-16) 1982年9月16日(41歳)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

秋葉 知一(あきば ともかず、1982年9月16日 - )は、三重県出身の元社会人野球選手(投手)。

経歴[編集]

三重県立四日市工業高等学校2年次の1999年夏の甲子園、3年次の2000年春の選抜にエースとして出場[1]。また1999年の第30回明治神宮野球大会高校の部で優勝を果たしている[2]

東都大学野球連盟に所属する国士舘大学に進学し、4年間を二部リーグでプレーした。大学時代の同期に小島紳二郎岩﨑哲也がいる。

大学卒業後は日産自動車に入社。入社後3年間は目立った成績を残せなかったが、入社4年目の2008年から日産の左のエースとなった[3]

日産自動車の休部が発表された2009年シーズンは、同期入社の石田祐介と共にフル回転し、同年の都市対抗野球大会日本選手権大会でのベスト4進出に大きく貢献した[4]

2010年シーズンからはJR東海硬式野球部に移籍しプレーを継続。2017年第88回都市対抗野球大会において、都市対抗10年連続出場(補強での出場を含む)を表彰された[3]

30代後半になっても現役を続ける息の長い選手であったが、2019年シーズン限りで現役を引退した。

人物・エピソード[編集]

  • ニックネームは「AKB18」。日産自動車時代の背番号が18番であったことに由来する。

主な表彰[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 選抜高校野球 四日市工”. 朝日新聞社. 2021年6月3日閲覧。
  2. ^ 平成11年度・第30回大会 試合結果(高校の部)”. 公益財団法人 日本学生野球協会. 2021年6月3日閲覧。
  3. ^ a b 後に知った恩師の涙 日産野球部休部から再出発した左腕の「第2の野球人生」”. Full-Count (2017年7月26日). 2021年6月3日閲覧。
  4. ^ 日産野球部に幕、延長力尽き/社会人野球”. 日刊スポーツ (2009年11月22日). 2021年6月3日閲覧。

関連項目[編集]