牧野剛

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牧野 剛(まきの つよし、1945年9月24日 - )は、評論家市民運動家。河合塾文理学院(旧河合塾文理、現・河合塾仙台校国語科講師(現代文小論文

人物

岐阜県恵那市生まれ。岐阜県立恵那高等学校名古屋大学文学部国史科卒業。元養護学校教諭、元高等学校教諭。

1984年大学共通一次試験国語現代文問題と同じ出典の文章(藤田省三 『精神史的考察』)を事前に全統模試で出題、「問題を的中させた」として一躍大学受験界の寵児となった。『30年後の「大学解体」』では、全共闘原人」と評されている。予備校業界で、最も長い間働いている講師の一人。60歳を過ぎた現在でも、講義のために毎週名古屋と仙台を往復する生活を送っている。

名大では中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)同盟員として活動。中核派離脱後も一貫して新左翼思想家としての道を歩んでいるが、新右翼一水会」の鈴木邦男は講師仲間で、「左右討論」などの塾内企画を共同で行うほどの仲であり、選挙では応援演説も受けるなど柔軟な姿勢も見せている。

参議院愛知県選挙区再選挙、愛知県知事選挙、名古屋市長選挙などに立候補する際は、本人の講義内で述べるところによると、所属先の河合塾に対して最初から立候補者に議論を持ちかけることが目的であって落選を前提とすることを示唆した上で行い、河合塾も落選することが自明であるので辞職や退職の話題もなく静観するのだという。結果は、やはり全て落選している。1988年に予定されていた名古屋オリンピックへの招致反対運動にも参加するなど、政治家への野心は無いが、政治の誤りを正す運動や政治を行う者への直接的な議論を求めるなど、政治的な興味を持った活動をすることで知られている。

国会議員の辻元清美は教え子であり、さまざまな影響を与えている。

2003年、石川県金沢市に大学受験予備校『翔学舎』を設立。校長を務める。テレビ東京『ガイアの夜明け』で取り上げられる[1]

現在も河合塾名駅校等で教鞭を取っているが、授業は余談がほとんどであって、実際の講義の内容は授業の時間が終わった後で大変な高速で行われることも多い。理由としては、現代文はテクニックを求めることよりも、現代の時代の流れを読むことが、大学の入試で取り扱われる文章の大意を推測し文意を把握する鍵であると考えることによっている。受験テクニックを求める塾生以外からは、大変な人気を集める講師として有名である。

また、アイデアマンとしても知られ、講師の研究費制度や受験生用の貸切新幹線など、河合塾の黎明期を支えたシステムの多くが牧野の提案から生まれた。

まもなく定年退職を迎えるが、退職後はこれまでの講師経験を活かし、「予備校文化」についての研究を発表したいと語っている。

著書

  • 予備校にあう』 (風媒社、1986年 / 1999年 新版)
  • 『国境を越えて―東欧民主化とEC統合の若者への旅』共著 鎌田慧(河合出版、1991年)
  • 『されど予備校: 予備校から“世界"を覗る』 (風媒社、1999年)
  • 浪人しないで何が人生だ!「成功する浪人生活」の過ごし方』 (学習研究社、1996年)
  • 『河合塾マキノ流!国語トレーニング (講談社現代新書)』 (講談社、2002年)
  • 『30年後の「大学解体」』 (ウェイツ、2002年)
  • 『現代文と格闘する』共著 竹国友康、前中昭(河合出版、2006年改訂版)
  • 『偏差値崩壊―本当の学力を見失う偏差値(くらべっこ)の呪い』(PHP研究所、2009年)
  • 『人生を変える大人の読書術』(メディアックス、2009年)

脚注