法金剛院

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法金剛院

礼堂
所在地 京都府京都市右京区花園扇野町49
位置 北緯35度1分8.97秒 東経135度42分57.38秒 / 北緯35.0191583度 東経135.7159389度 / 35.0191583; 135.7159389座標: 北緯35度1分8.97秒 東経135度42分57.38秒 / 北緯35.0191583度 東経135.7159389度 / 35.0191583; 135.7159389
山号 五位山
宗派 律宗
本尊 阿弥陀如来(重要文化財)
創建年 大治5年(1130年
開基 待賢門院
札所等 関西花の寺二十五霊場13番
京都十三仏霊場10番
文化財 阿弥陀如来坐像、十一面観音坐像、地蔵菩薩立像、僧形文殊坐像、蓮華式香炉(重要文化財)
法人番号 4130005001349 ウィキデータを編集
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庭園
青女の瀧

法金剛院(ほうこんごういん)は、京都市右京区花園にある律宗寺院である。山号を五位山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は待賢門院とされる。境内に現存する浄土式庭園の一隅にある青女の瀧は日本最古の人工とされており、国の特別名勝に指定されている。

歴史

法金剛院は、古くから名勝の地として知られる双ヶ丘(ならびがおか)の東麓にある。付近には妙心寺仁和寺などの著名寺院や史跡も多い。

この地には平安初期の貴族・清原夏野782年 - 837年)の山荘があり、夏野の死後、山荘を寺に改めたものが当寺の前身であるという。20年ほど後の天安2年(858年)、文徳天皇の発願で伽藍を建立し、天安寺と称した。その後、寺運は衰えたようだが、3世紀ほど経た平安末期の大治5年(1130年)、待賢門院(1101年 - 1145年)により再興された。 待賢門院は藤原氏の出身で、鳥羽天皇中宮であり、崇徳天皇後白河天皇の母である。最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所などが立ち並んでいたというが、度重なる災害により、壮観だった当時の面影はない。なお、平安末期の浄土式庭園の遺構が1968年に発掘・復元されている。現存する阿弥陀如来像は像高2.2メートルを超える大作で、丈六阿弥陀堂の本尊と推定されている。

伽藍

本堂などは江戸前期、元和3年(1617年)の再建である。

文化財

特別名勝

  • 青女の滝(せいじょのたき)(附:五位山) - 平安時代末期の浄土式庭園の遺構は日本最古の人工のとされる。待賢門院の発願により林賢と静意の作と伝わる。

重要文化財

  • 木造阿弥陀如来坐像 - 平安後期の定朝様(じょうちょうよう)の阿弥陀像。坐高2.27メートルの大作で、仏師院覚の作と推定されている。
  • 厨子入木造十一面観音坐像
    像底に正和五年造立、元応元年摺仏等納入の朱漆銘がある 像内に銅製舎利容器を納める(※正和元年は1312年、元応元年は1319年)
    • 附:像内納入品
      • 元応元年六月円宗朝海造立願文 1通
      • 十一面観音摺仏4巻 紙背の結縁交名中に文保元年四月、元応元年六月等の記がある
      • 十一面観音摺仏1,000枚 内二枚に文保二年七月の年記がある
      • 十一面観音真言、結縁交名等461枚 文保元年九月、十月、同三年正月、元応元年五月、六月の年記及び諸宗高僧等の名がある
      • 版本両界種子曼荼羅 1紙 紙背に元応元年六月、慈明の墨書がある
      • 版本種子曼荼羅(袈裟曼荼羅) 1紙
  • 木造地蔵菩薩立像 - 平安後期
  • 木造僧形文殊坐像 - 平安後期
  • 蓮華式香炉 - 古清水(こきよみず)焼きで蓮の花をかたどった香炉。京都国立博物館寄託。

その他

  • 木造地蔵菩薩坐像 - 平安後期。一丈六尺の大きさで目に金箔が貼られていたことから金目(かなめ)地蔵と呼ばれる。転じて要地蔵、叶(かなえ)地蔵とも呼ばれる。通常非公開であるが、毎月23日に法要が営まれる。参加自由。
  • の名所である。

交通アクセス

周辺

外部リンク