武塔神

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武塔神(むとうしん、むとうのかみ)は、蘇民将来説話に登場する。武塔(むたふ)の神、武塔天神とも呼ばれる。

概要

卜部兼方13世紀後半に著した『釈日本紀』にも引かれている『備後国風土記逸文』の「疫隈国社(えのくまのくにつやしろ)」)が初見である。

武塔の神は北海の神で、嫁取りに南海に訪れたとされ、自ら「吾は速須佐能神(すさのおのかみ)なり」と称している。ゆえにスサノオ(『古事記』における呼称は建速須佐之男命)と同一視される。 武塔は固有名詞ではなく、朝鮮の武塔(ムータン)の台形状の聖所にある神の意味と言われる。 ムータンという言葉は、朝鮮では、巫堂mudangというシャーマン的存在が知られる。中国語にはmudan(牡丹)という語があり、 また毘沙門天代の武将李靖(571年 - 649年)が習合した道教の神である托塔李天王と関連付ける説もある。

『備後国風土記逸文』の武塔神の説話は、のちに牛頭天王の説話『祇園牛頭天王縁起』へと話がスケールアップしている。

武塔神の弟の巨旦将来は、夜叉国の巨旦大王(金神)になり、武塔神は「身の丈七尺五寸の大男・牛頭をした太子」牛頭天王へと変化し、巨旦大王と戦争まで起こしている。牛頭天王は、摩訶陀国(まかだこく)の王舎城(マガダのラージャグリハ)の大王とされる。

  • 伊呂波字類抄』によれば、「天竺北方の九相国に吉祥園があり、牛頭天王はその城の王で武塔天神とも云う。」としており、八王子と8万4654の眷属神をもつとする。
  • 「九相国」はときに「倶相国」「吉祥国」「豊饒国」等と記述されるが同じである。

関連項目