武乙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。WikitanvirBot (会話 | 投稿記録) による 2011年4月17日 (日) 12:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 変更: ca:Wu Yi (rei))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

武乙
27帝
王朝
姓・諱 子武乙
庚丁
卜辞では武且乙(ぶそいつ)、武祖乙(ぶそいつ)と作る。

武乙(ぶいつ)は殷朝の第27代帝。 都を亳から黄河の北側に戻す。

史記の記述によれば、武乙は、無道であった。例えば、「天神」と名を付けた手作り人形を作り、その人形と博打をして、その人形が負けると罵った。また、その傍ら天に向かって矢を放つということもした。最期は、武乙は黄河と渭水の間の土地で狩猟をしているときにに打たれて、手の施しようも無いまま即死したとされている。

白川静は、武乙の時代は帝辛等の祖先神を祭祀するそれとは違い、自然神の祭祀が主であり、史記の武乙についての記述は不可解であるとした上で、武乙の説話を雷による震死により造作されたものや、当時の信仰への葛藤の現われとする見解を述べている。

竹書紀年によると季歴と同時代の人物であり、参朝した季歴が武乙より土地と馬と玉を賜ったらしい。