椿八郎

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右から椿八郎、伊藤初代、山田ます。1920年春、カフェ・エランにて

椿 八郎(つばき はちろう、1900年4月18日 - 1985年1月27日)は、日本の作家。眼科医。本名は藤森 章。

経歴[編集]

長野県東筑摩郡松本町(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を経て、慶應義塾大学医学部卒業後、1925年同大眼科教室助手となった。その後は満鉄長春医院眼科医長、満鉄撫順医院眼科医長を歴任。

1946年引き揚げ東京電力病院眼科医長などを歴任した。

「テノン氏嚢の研究」「ミュッレル氏筋の研究」など眼科研究論文を発表。

大学在学中、本名で正木不如丘主宰の同人誌『脈』に小品を発表。1949年宝石』に「カメレオン黄金虫」を発表し推理小説作家として登場した。1951年に『宝石』に発表した「扉」が翌年の第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。1963年木々高太郎白石潔らとともに同人誌『詩と小説と評論』を創刊。1978年、日本医科芸術クラブ大賞受賞。

日本探偵作家クラブの会員章である「ポーの指輪」の提唱者、佐藤春夫の「火眼記」のモデルでもある。

主な作品[編集]

  • 手を洗ふ 1944
  • カメレオン黄金虫 1949
  • 贋造犯人 1950
  • 扉 1951
  • 朧月夜と運転手 1953
  • 随筆鼠の王様 1969
  • 「南方の火」のころ 1977

参考文献[編集]