森下豊

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森下 豊
もりした ゆたか
生年月日 (1958-04-03) 1958年4月3日(66歳)
出生地 奈良県吉野郡大淀町
出身校 兵庫医科大学
所属政党自由民主党→)
民主党→)
無所属

当選回数 3回
在任期間 2007年11月12日 - 2019年11月11日

選挙区 吉野郡選挙区
当選回数 3回
在任期間 1995年4月30日 - 2003年
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森下 豊(もりした ゆたか、1958年昭和33年)4月3日[1] - )は、日本政治家医師。元奈良県橿原市長(3期)、元奈良県議会議員(3期)。

祖父、父ともに奈良県議会議員を経験している[2]

経歴

奈良県吉野郡大淀町出身[3]智辯学園中学校、智辯学園高等学校、兵庫医科大学卒業[4][5]

1992年、橿原市見瀬町に森下内科院を開業。1995年社会福祉法人・豊生会を設立。同年、奈良県議会議員に初当選した。2003年、3期目の当選。

2005年9月に行われた第44回衆議院議員総選挙民主党公認で立候補するも、落選。

2007年10月28日に行われた橿原市長選挙に出馬。候補者は森下、現職の安曽田豊、元市職員の吉田浩巳の3名。森下には前田武志参議院議員ら民主党議員が付き、安曽田には自民党の田野瀬良太郎衆議院議員が付いたことから「前田VS田野瀬の代理戦争」とも言われた市長選において、僅差で初当選した(森下:19,188票、安曽田:18,262票、吉田浩巳:6,421票)[6]。投票率は45.19%。11月12日、橿原市長就任[7]

2011年、再選。投票率は29.02%[8]

2015年10月25日に行われた市長選において、自民党・公明党の推薦を受けた元県議の神田加津代を僅差で破り3選(森下:21,087票、神田:20,724票)。投票率は42.79%[9]

2019年10月27日に行われた市長選において、自民党の推薦を受けた元県議の亀田忠彦に破れた[10][11]

政策・主張

  • 近鉄大和八木駅南側に分庁舎とホテルが入る複合ビルを建設する事業計画を推進。当該計画に関しその是非が2015年の市長選の争点になった[9]

脚注

関連項目

外部リンク