材木座海岸
材木座海岸(ざいもくざかいがん)は神奈川県鎌倉市の海岸。海岸のほぼ中央に河口を持つ滑川(なめりがわ)を境に、東側を「材木座海岸」、西側を「由比ヶ浜」という。東端では藤沢市の江ノ島が見える。
歴史・由来
明治期に海水浴場となり、夏目漱石の『こころ』に描かれて有名になった。源実朝が宋(中国)に渡る計画を立て、大きい船を完成させたが、遠浅のため進水できなかったとも伝えられている。
名称は鎌倉時代に鎌倉七座(米座、相物座、博労座、炭座、材木座、絹座、千朶積座)という商工組合があり、これに由来する。江戸時代には材木座村と内陸側の乱橋(みだればし)村に分かれていたが、のちに合併して大字「乱橋材木座」となり、これが住居表示に伴い材木座一丁目-六丁目となった。
遺跡
1953年に、鶴岡八幡宮の一の鳥居と海岸の間の、滑川の東岸にあった「材木座遺跡」を発掘調査した際に、約650体の人骨と、大量の馬や犬の骨が出土した[1][2]。
鎌倉時代末期の14世紀前半に形成された遺跡と考えられ、調査にあたった鈴木尚は、人骨に残された殺傷痕から、新田義貞の鎌倉攻めによる戦死者であると推定した。出土した人骨は、東京大学総合研究博物館に所蔵されている[2]。
馬骨は大半が軍馬と見られており、四肢骨の最大長から体高は平均で129.5センチメートルで、日本在来馬の中型馬にあたり、小型馬も含まれると推定されている[3]。
史跡
座標: 北緯35度18分22.5秒 東経139度32分55秒 / 北緯35.306250度 東経139.54861度
脚注
- ^ 鎌倉材木座遺跡出土の中世犬骨茂原信生・小野寺覚、獨協医科大学第一解剖学教室、『人類誌』1987年
- ^ a b 日本における槍の出現とその受傷痕‐鎌倉材木座遺跡出土人骨の例から 東京大学人類学演習IV談話会
- ^ 川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究』(講談社学術文庫、2010年(原著は1996年刊行)、p.50