コンテンツにスキップ

李厚洛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。高木あゆみ (会話 | 投稿記録) による 2010年9月10日 (金) 01:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎脚注)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

李厚洛
이후락
生年月日 (1924-02-23) 1924年2月23日
出生地 大日本帝国の旗 大日本帝国朝鮮、慶尚南道蔚山郡
没年月日 (2009-10-31) 2009年10月31日(85歳没)
死没地 大韓民国の旗 韓国ソウル市江東区
出身校 アメリカ陸軍指揮幕僚大学卒業

大韓民国の旗 国会議員
(第10期・蔚州郡
選挙区 蔚州郡
在任期間 1979年3月12日 - 1980年10月27日

在任期間 1970年12月21日 - 1973年12月2日
大統領 朴正煕

在任期間 1970年1月 - 1971年1月
大統領 朴正煕

大統領 朴正煕
テンプレートを表示

李 厚洛(イ フラク、ハングル:이후락、1924年2月23日 - 2009年10月31日)は、韓国政治家である。

慶尚南道蔚山郡(現在の蔚山広域市)生まれ。1942年、蔚山農業学校を卒業、翌1943年に九州太刀洗陸軍飛行学校に入隊したが、第二次世界大戦の終戦後に帰国。1945年陸軍英語学校、1949年アメリカ陸軍指揮幕僚大学を卒業した。

朴正熙により国家再建最高会議広報室長に任命されたことが、政界入りのきっかけである。

第三共和国では大統領秘書室長、第四共和国初期には韓国中央情報部長を務めた。1971年大韓民国大統領選挙では朴正熙陣営の総指揮を振るった。

1972年5月2日、密かに平壌を訪れ、金日成と2度にわたり会談。韓国に帰った後の7月4日ソウルで韓国側当事者として南北共同声明を発表した。

1973年金大中事件のために中央情報部長を解任された。事件に深く関与しているとされている。

1978年に国会議員に無所属で立候補、当選した(当選後に民主共和党に入党)。1979年、朴正熙が暗殺されると、政界を去った。その後は隠遁生活に入り、2009年10月31日脳腫瘍老人性疾患によりソウル市内の病院で死去[1]

関連項目

脚注

  1. ^ “元KCIA部長、李厚洛死去…金大中事件核心握る”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009年10月31日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091031-OYT1T00876.htm 2009年11月1日閲覧。 
外交職
先代
厳敏永
大韓民国の旗 在日本大韓民国大使
第3代:1970 - 1971
次代
李澔
公職
先代
金桂元
大韓民国の旗 大韓民国国家情報院院長
第6代:1970 - 1973
次代
申稙秀
先代
金元圭
崔炯宇
大韓民国の旗 大韓民国国会議員(蔚山市·蔚州郡)
無所属、崔炯宇とともに
1979 - 1980
次代
李奎禎
高元準