本田博俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。114.160.218.84 (会話) による 2011年7月4日 (月) 11:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎経歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

本田 博俊(ほんだ ひろとし、1942年4月11日 - )は、静岡県生まれの実業家ホンダ創業者・本田宗一郎の長男。

経歴

ホンダ創業者・本田宗一郎の息子として生まれる。

中学・高校時代に父・宗一郎を介して浮谷東次郎に出会う。浮谷は博俊が宗一郎から与えられた、発売されたばかりのスーパーカブを乗り回しているのを記事で目にし、興味を持ったことから宗一郎に「あなたの息子の本田博俊さんと友人になりたい」との手紙を、私家版『がむしゃら1500キロ』に添えて送ったことがきっかけ。[1]

浮谷や生沢徹といった戦後のレース界のスターと同い年で、少年時代から友人関係だった。スーパーカブで浜松までのツーリングを行っている。妻と出会ったのも浮谷の紹介だった。本田の結婚式の仲人は浮谷の両親だった。

日本大学理工学部入学後、芸術学部に転部し卒業。レーシングカーデザイナー由良拓也は日大時代の恩師である由良玲吉の息子で、現在ムーンクラフトの代表である[要出典]

1973年、株式会社無限(現在のM-TECの母体)を川本信彦らと創設。二輪モトクロス用マシンの開発や、4輪ホンダ系チームへのレーシングエンジン供給、ホンダ車用アフターパーツの開発販売などを行う。1992年からはF1に参戦し、フットワークロータスリジェジョーダンへエンジン供給するも、経営が悪化したことやホンダとの関係が冷却化したことなどを理由に撤退する。

無限の10億円規模の脱税が発覚し、主犯と目された元監査役広川則男、法人としての無限と共に逮捕・起訴される(法人税法違反)。2006年5月、一審さいたま地裁は、博俊と広川の共謀を認めず無罪判決を下した。これを不服として検察は控訴。2007年9月、二審東京高裁は「(博俊の財務知識からして、)不正な会計処理の詳細まで認識していたとは認められないが、広川による脱税計画の概要は理解し了承していた」として逆転有罪判決を下した。これを不服として博俊は上告。2010年1月、最高裁第1小法廷(裁判長・横田尤孝)は、博俊と法人としての無限、広川の上告をいずれも同月27日までに棄却。博俊を懲役2年、無限を罰金2億4,000万円、広川を懲役3年とした二審判決が確定した。2011年6月に収監。現在は服役中である。[2][3](詳細はM-TECを参照)

脚注

  1. ^ 森田信吾, 『浮谷東次郎物語 愛蔵復刻版―俺様の青春ロード』, モーターマガジン社, 2008年
  2. ^ 読売新聞 「無限」の脱税事件、本田社長の実刑確定へ 2011年1月27日
  3. ^ 47news 「無限」社長、実刑確定へ 10億円脱税事件で上告棄却