有馬あきこ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Calamvs Gladio Fortior (会話 | 投稿記録) による 2022年9月3日 (土) 11:02個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ありま あきこ

有馬 晶子
生誕 1975年12月15日
日本の旗 東京都
死没 2010年4月26日ないしそれ以降[1]
別名 有馬あきこ
出身校 聖心女子大学文学部中退[2]
学習院大学文学部(中退)[2]
職業 実業家、ウェブデザイナー
テンプレートを表示

有馬 あきこ(ありま あきこ、1975年12月15日 - 2010年4月26日ないしそれ以降に死去[1][3])は、日本実業家ウェブデザイナー、ウェブクリエーター。本名、有馬 晶子(読み同じ)。

有限会社オン・ザ・エッヂ(後に株式会社ライブドア→LDH)創業者の1人で、取締役、クリアキューブ代表取締役[4]を歴任。

日本のウェブクリエーターの草分けの1人と評されている[5]

人物

1975年、東京生まれ。父は商社勤めを経て30代半ばでアパレル関係の事業を立ち上げた起業家[4]。頻繁に父の会社に遊びに行っていたという[5]

パソコンには小学校5年生から親しんでいて、将来はプログラマーになりたいと思っていた。高校時代は美術サークルにいた。

1996年(平成8年)4月、堀江貴文らとともに有限会社オン・ザ・エッヂを設立(なお、堀江と同じく会社設立後に大学を中退している)。開業資金には、父からの出資600万円が用いられ、社長には堀江が就任、自身は取締役として総務、経理を担当したほか、ウェブデザイナーとしても活動していたが、経営方針の違いなどからオン・ザ・エッヂを退社、2001年にクリアキューブを設立し代表取締役に就任した。

本業以外では「けん引車に萌える」と言うほどの鉄道好きで、『ミラクル☆トレイン』プロジェクトの中心人物であった。

2010年4月、自身のTwitter更新を最後に消息が定かでない状況にあったが、2016年、元パートナーであった堀江が著書『ウシジマくんVS.ホリエモン 人生はカネじゃない!』にて、有馬の急死について言及。「彼女は彼女で、別の幸せを見つけてほしいと心から願っていた」 と振り返っている[3]

脚注

  1. ^ a b 外部リンクの本人のツイッターの最後の投稿記録が同日となっている。
  2. ^ a b 有馬あきこのはじめましてインターネット[番外編]、2008年06月07日
  3. ^ a b 堀江貴文氏 「元カノの急死」で心境語る、2016年9月2日、news-postseven
  4. ^ a b オン・ザ・エッヂを創業した彼女が歩いてきた道、2004年12月17日、ITmedia ニュース
  5. ^ a b 『職業安定広報』2004年5/6号より

外部リンク