春慶塗

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春慶塗(しゅんけいぬり)とは岐阜県高山市などで生産される漆器である。

国内で春慶塗という名の漆器岐阜県高山市飛騨春慶秋田県能代市能代春慶茨城県東茨城郡城里町粟野春慶等があり、この三つを日本三大春慶塗という。他にも三重県伊勢市伊勢春慶など数箇所の地域で生産されている。

飛騨春慶1975年昭和50年)2月17日、通商産業省伝統的工芸品に指定されている。

特色

板を立体的に仕上げる曲げの技法が優れている。他の漆器とは違い、天然の木目の美しさをそのまま活かし、透き漆と呼ばれる透明の漆が用いられる。下地の色は黄色、紅が用いられ、完成時の色味を変える。また、軽くて丈夫である。

板物(など)、曲物(菓子箱、重箱など)、挽き物(茶托など)が多く、特殊な物として家具、仏壇などがある。

製作過程

  • 飛騨春慶塗の場合、材料の木は、を使用する。
  • 木目等を吟味し、その木材を木地師と呼ぶ職人が加工する。
  • 塗師と呼ぶ職人により、目止めの後、黄色、または紅色の染料で下塗りされる。その上に豆汁(大豆をつぶした汁)を2~3回塗り、摺り(漆を浸み込ませる事)を数度行い透きを塗る。

歴史

説は幾つかあるが、代表的なのを挙げる。

  • 飛騨国発祥説・・・飛騨春慶塗
    • 1606年慶長11年)、大工棟梁である高橋喜左衛門が、の割れ目の木目の美しさを生かしてを製作し、高山城城主金森可重の子である金森重近に献上する。御用塗師の成田三右衛門はこの木目の自然美を生かす方法を考え、透け を重ね塗りで盆を仕上げる。
    • この盆の美しさが、陶工の加藤景正の名陶「飛春慶」の茶壷の黄釉と似ていることから、金森可重により「春慶」と名づけられる。
    • 1692年元禄5年)、飛騨国天領となる。歴代の代官郡代は春慶塗を保護奨励し、将軍家大名、大商人などを中心に、全国に広まる。
  • 常陸国発祥説・・・粟野春慶塗
  • 和泉国発祥説
    • 室町時代の応永年間(1394年 - 1428年)、和泉国の漆師、春慶が製作する。

有力なのは飛騨国発祥説と常陸国発祥説。能代春慶塗は飛騨春慶塗の技術が伝わったものといわれている。

外部リンク