新津記念館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ClioneX (会話 | 投稿記録) による 2022年5月17日 (火) 09:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Template:出典の明記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

新津記念館
(旧新津邸迎賓館)
地図
情報
用途 西洋館
旧用途 迎賓館
設計者 大友 弘
施工 合資会社 清水組
建築主 新津恒吉
管理運営 公益財団法人 新津記念館
構造形式 鉄筋コンクリート造
敷地面積 1,738.4 m²
建築面積 319.46 m²
延床面積 136.16 m²
階数 地上3階、地下1階、塔屋付
着工 1935年(昭和10年)
竣工 1938年(昭和13年)4月
開館開所 1992年(平成4年)8月(新津記念館として)
所在地 951-8122
新潟県新潟市中央区旭町通一番町754番地
座標 北緯37度55分8.5秒 東経139度2分13.4秒 / 北緯37.919028度 東経139.037056度 / 37.919028; 139.037056 (新津記念館
(旧新津邸迎賓館)
)
座標: 北緯37度55分8.5秒 東経139度2分13.4秒 / 北緯37.919028度 東経139.037056度 / 37.919028; 139.037056 (新津記念館
(旧新津邸迎賓館)
)
文化財 国の登録有形文化財
指定・登録等日 1998年(平成10年)4月21日
テンプレートを表示

新津記念館(にいつきねんかん)は、新潟県新潟市中央区にある文化施設。建物は国の登録有形文化財である。

概要

建設主は、現在の昭和シェル石油の前身の一つにあたる「新津石油[1]」創業者の新津恒吉である。

新津恒吉は新潟県三島郡出雲崎町尼瀬の出身で、若き日から石油精製を通じて新潟の産業振興に全生涯を賭け、大成功して莫大な財を成した。晩年は私財を投じ、新潟市に外国要人を迎えるための迎賓館を建設した。この現在の新津記念館にあたる迎賓館は1935年昭和10年)から3年を費やして建設され、1938年(昭和13年)に竣工した。また新津は、同年竣工した新潟市公会堂(1995年用途廃止され解体、現在の新潟市民芸術文化会館立地)の建設に際しても、市に対し50万円を寄附している。しかし新津は迎賓館と公会堂の竣工翌年の1939年(昭和14年)に他界し、また間もなく日本が太平洋戦争の戦時下に置かれるなどしたため、迎賓館として使われることはなかった。

第二次世界大戦終結後、迎賓館はGHQに接収され、最初は将校の、後には下士官の住居として使用されたが、この間に荒廃した。その後10年間に及ぶ接収が解除され、新津家へ返還。新津家は戦後、新潟県内で石油販売を中心とした業務を展開する「丸新石油(現在の丸新の前身)」を創業し、迎賓館を再び住居の一部として使用したが、改修はままならなかった。

丸新グループでは新津恒吉の生誕120年に際し、1991年平成3年)3月20日に「財団法人新津記念館」を設立して迎賓館の大規模改修・復原に着手し、1992年(平成4年)8月に新津記念館として、新津家が所蔵する美術品とともに有料の一般公開を開始。1998年(平成10年)4月21日付で新潟県内で初めて国の登録有形文化財に登録された。

脚注

  1. ^ 現在、丸新グループ内で昭和シェル石油の特約店として石油販売を手掛ける「新津石油」とは別法人である。

関連項目

外部リンク