出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "当間重慎" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年2月) |
当間 重慎(とうま じゅうしん、1876年(明治9年)8月11日[1] - 1923年(大正12年)9月22日[1])は、戦前の沖縄県の政治家で初代那覇市長。
政治家の当間重剛・重民兄弟の父である。
経歴
明治9年(1876年・光緒2年)6月7日に琉球藩具志川間切(現沖縄県うるま市)で生まれた。明治16年(1883年)に那覇に移る。明治34年(1901年)に上京し、東京専門学校(現早稲田大学)に入学するが病気のため中退し、那覇に戻った。
那覇では琉球新報の記者になったが、まもなく退職し「沖縄毎日新聞」を創刊する。沖縄毎日新聞では、那覇住民の立場に立った論陣をはった。
明治42年(1909年)の沖縄県会発足に際して、議員に選出され政治家としての一歩を歩みだした。その後、大正2年(1913年)に「那覇区」(「沖縄県ノ郡編制ニ関スル件」に基づく行政区画)の区長になり、大正10年(1921年)には初代那覇市長に就任するが、在任中に結核に冒され亡くなった。
親族
息子の重剛・重民兄弟も、後に那覇市長を務めた。
脚注
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、448頁。
|
---|
1954年9月1日編入 |
|
---|
1957年12月17日編入 |
|
---|
官選 |
|
---|
区会選任制 |
区長 |
- 喜入休1908.5.15-1911.7.29
- 当間重慎1911.9.16-1919.11.1
- 山城正馴1919.11.9-1921.5.19
|
---|
|
---|
官選 | |
---|
米軍統治下 | |
---|
公選 |
- 平良良松1972.12-1984.11
- 親泊康晴1984.12-2000.11.30
- 翁長雄志2000.12.1-2014.10.3
- 城間幹子2014.11.16-2022.11.15
- 知念覚2022.11.16-
|
---|
カテゴリ |