弥勒寺跡 (関市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Report0723 (会話 | 投稿記録) による 2022年2月17日 (木) 02:04個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

弥勒寺跡史跡公園入口
弥勒寺跡の位置(岐阜県内)
弥勒寺跡
弥勒寺跡
位置

弥勒寺跡(みろくじあと)は、岐阜県関市池尻にある廃寺跡である。弥勒寺官衙遺跡群の1つとして国の史跡に指定されている[1]

概要

美濃地方豪族身毛津(むげつ)氏の氏寺と推定される古代寺院址である。1953年(昭和28年)以降、石田茂作らによる発掘調査が行われ、金堂を西、塔を東に配する法起寺伽藍配置の寺院であったことが確認された。金堂、塔のほか講堂、南門、掘立柱塀、掘立柱建物竪穴住居などの跡が検出されている。出土瓦の年代から7世紀後半の創建と推定される。

弥勒寺はその後廃寺となっていたが、近世に「円空仏」の作者として知られる円空が再興した。元禄2年(1689年)に園城寺(三井寺)の末寺となったことが記録にみえる。円空は元禄8年(1695年)にこの地で没した。

1959年(昭和34年)に「弥勒寺跡 附:丸山古窯跡」の名称で国の史跡に指定された[2]1980年(昭和55年)に保存管理計画が策定され、弥勒寺跡史跡公園として整備されている。この一帯には弥勒寺官衙遺跡(弥勒寺東遺跡)、弥勒寺西遺跡があり弥勒寺官衙遺跡群として発掘調査が継続されている。2007年(平成19年)には周辺の遺跡が史跡に追加指定され、指定名称が「弥勒寺官衙遺跡群」と改められた。

遺構

金堂跡
  • 基壇:一辺38尺(11.5メートル)の正方形。高さ3尺(0.9メートル)程の石積。
  • 構造:塔心礎と3×3間で一辺21尺(6.36メートル)・7尺(2.12メートル)等間の側柱。内4個の礎石が残存する。
金堂
  • 基壇:49.1尺(14.88メートル)×41尺(12.42メートル)程の石積。その上の8個の礎石が残存する。
  • 構造:四面廂を入れて桁行5間 36尺(10.9メートル)・7.3尺(2.21メートル)等間×梁行4間 27尺(8.18メートル)・6.9尺(2.09メートル)等間。
講堂(1998年調査)
  • 基壇:24×14メートル
  • 構造:四面廂付。廂(ひさし)は約8尺(2.4メートル)程、身舎桁行5間(15メートル)×梁行2間(6メートル)の約10尺(3メートル)等間。

出土品

  • 川原寺式の複弁蓮華文軒丸瓦、四重弧文軒平瓦、凸面布目平瓦。
※出土した遺物の一部は関市円空館の常設コーナーにて展示。

脚注

  1. ^ 弥勒寺跡(文化遺産オンライン)
  2. ^ 弥勒寺官衙遺跡群(関市)

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度30分22.9秒 東経136度53分39.3秒 / 北緯35.506361度 東経136.894250度 / 35.506361; 136.894250