島津忠剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Sakoppi (会話 | 投稿記録) による 2015年12月2日 (水) 15:03個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
島津忠剛
時代 江戸時代後期
生誕 文化3年2月8日1806年3月27日
死没 安政元年2月27日1854年3月25日
改名 久彰→忠剛
別名 啓之助(通称)、安芸
戒名 明鑑院殿賢阿良雄大居士
主君 島津斉興斉彬
薩摩藩
氏族 島津氏
父母 父:島津斉宣、母:籌姫(荒田常明女)
養父:島津久賢島津忠喬
養母:鈴木甚五郎勝直の娘
兄弟 斉興忠公忠剛松平勝善種子島久珍
操姫、隣姫、随姫、聡姫、郁姫、晴姫、寵姫、
勝姫
正室:お幸島津久丙女)
側室:河野通記女、海老原庄蔵
忠冬久敬、猛熊、忠敬於一(天璋院)、
於熊、於龍、於才
テンプレートを表示

島津 忠剛(しまづ ただたけ)は、江戸時代後期の今和泉島津家第10代当主。第9代薩摩藩主・島津斉宣の七男。母は籌姫(荒田常明の娘)[1]天璋院(篤姫)の実父。

略歴

当初は花岡家島津久賢養子に出されていたが、文化11年(1814年)鹿児島に戻されて、文政8年(1825年)今和泉家島津忠喬の養子に入り、天保10年(1839年家督を継いだ。藩政改革で成果を挙げていた調所広郷の助力を仰いで家中の財政改革に着手し、それに成功している。

正妻は島津久丙(ひさあき)の娘・お幸で、間には第13代将軍徳川家定正室となった天璋院がいる。没後は子の島津忠冬が継いだ。

一門

正室
側室
  • 河野通記の娘(名前・生没年不詳)
    忠敬ら2男を儲けた。
  • 海老原庄蔵の娘(名前・生没年不詳)
    側室。3女を儲けた。
子女

脚注

  1. ^ 斉興実母の鈴木甚五郎勝直の娘が公式上の母
  2. ^ NHK2008年大河ドラマ篤姫』で樋口可南子が演じた。
  3. ^ 島津家久五男忠広より始まる一所持格。

関連項目