島津久洪

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島津久洪
時代 江戸時代
生誕 寛文2年1月20日1662年3月10日
死没 元禄14年7月16日1701年8月19日
改名 久雄(初名)→久英→久洪
別名 図書(通称)
墓所 鹿児島県宮之城町宗功寺
主君 島津光久綱貴
薩摩国薩摩藩
氏族 島津氏
父母 父:島津久竹、母:島津家久の娘
兄弟 久武、久洪
室:於長(島津光久の娘)
忠茂、養子:久方
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島津 久洪(しまづ ひさひろ)は、薩摩国薩摩藩家老宮之城島津家第6代。

家系[編集]

宮之城島津家家は、島津忠良の三男尚久に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降に薩摩国宮之城を領した。

略歴[編集]

寛文2年(1662年)島津家家臣島津久竹の子として生まれる。母は先代藩主家久の娘。

寛文8年(1666年)、将軍徳川家綱に拝謁し時服を賜った。元禄6年(1693年)、父久竹死去により家督相続。元禄10年(1697年)、家老に就任。[1]

元禄14年(1701年)7月16日、死去。享年40。

人物[編集]

琉球尚氏家臣に書札の礼法を伝授した。

出典[編集]

  1. ^ 平田四郎兵衛、明治29年、P9

参考文献[編集]