島津久茂
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島津 久茂(しまづ ひさもち、宝永8年(1711年) - 安永3 年(1774年)は江戸時代の鹿児島藩士。鹿児島藩主島津氏の一族で都城私領主である 都城島津氏(北郷氏)20代当主。
19代都城島津氏当主島津久龍の次男であったが、兄が早世したので都城島津氏を相続する。生母は前田時尚の女。幼名は彌五七。通称は石見、筑後。号は石雲。諱ははじめ久珍、後に久茂。
[編集] 経歴
宝永8年(1711年)生まれ、享保8年(1723年)、鹿児島城に於いて元服し久珍と名乗る。
享保16年(1731年)、島津氏宗家の拝謝使として家老以下を随え江戸へ赴き将軍徳川吉宗に拝謁し、太刀、馬等を献上する。
宝暦年間、家臣の池田貞記に命じ、茶の栽培法及び製茶法を山城国宇治にて学ばせる。貞記は創意工夫を加え、気候・風土に恵まれた霧深い都城盆地の名産として今に続く都城茶を創り出す。宝暦7年(1757年)、桃園天皇に都城茶を献上、叡感あり、菊花御紋章入りの茶碗及び土器を賜る。この茶碗及び土器は現存し、都城歴史資料館に展示されている。
武術を好み、撃剣及び銃術の奥義を極めた。特に射的及び鳥獣を撃つことを得意とした。また、領内の銃工に命じ小銃4丁を製造し島津氏宗家に献上している。
安永3年(1774年)、64歳で死去。法号「法雲院殿内山良寛大居士」。墓所は龍峰寺。
[編集] 参考文献
- 瀬戸山計佐儀『都城島津家歴代史 全』(1992年 三州文化社)
- 『都城市史』