島津久亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
島津久亮
時代 江戸時代
生誕 享保21年2月27日1736年4月7日
死没 宝暦13年9月26日1763年11月1日
改名 知之助(幼名)→久亮
別名 図書(通称)
墓所 鹿児島県宮之城町宗功寺
主君 島津継豊宗信重年重豪
薩摩国薩摩藩
氏族 島津氏
父母 父:島津吉貴、母:お幾(郷田兼近の娘)、養父:島津久倫
兄弟 継豊、貴儔忠紀久亮貴澄忠卿忠温など(島津吉貴の項参照)
養子:久濃
テンプレートを表示

島津 久亮(しまづ ひさすけ)は、薩摩国薩摩藩家老宮之城島津家第9代。

家系[編集]

宮之城島津家家は、島津忠良の三男尚久に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降、薩摩国宮之城を領した。

略歴[編集]

享保21年(1736年)薩摩藩前藩主島津吉貴の子として生まれる。母は郷田兼近の娘お幾。藩主重年、重豪に家老として仕えた。

元文元年(1736年)宮之城島津久倫の養子となる。寛保2年(1742年)2月、前藩主吉貴の加冠で元服し「図書」と名乗る。9月に藩主で実兄の継豊に拝謁して、宮之城島津家を相続したお礼を言上した[1]

宝暦3年(1753年)藩主重年に、将軍徳川家重への謝恩使を命じられて、江戸に下向した[2]。宝暦5年(1755年)家老に就任。

宝暦13年(1763年)9月26日、死去。享年29。家督は養父久倫の実子久濃が相続した。

人物[編集]

宗功寺墓所の墓石に久亮から十文字の家紋が使用されている。

出典[編集]

  1. ^ 平田四郎兵衛、明治29年、P10
  2. ^ 平田四郎兵衛、明治29年、P11

参考文献[編集]