小湊鉄道キハ200形気動車
小湊鐵道キハ200形気動車(こみなとてつどうキハ200がたきどうしゃ)は、小湊鐵道が1961年(昭和36年)から導入した気動車である。
概要
自社発注のキハ100形、国鉄払い下げのキハ41000形、国鉄払い下げの買収国電を気動車化したキハ6100形とキハ5800形、と種々雑多であった小湊鉄道線の既存車両の老朽化に伴う代替と車両増備を目的として、日本国有鉄道(国鉄)キハ20系を基本としつつ多少の独自色を盛り込む形で設計され、1961年(昭和36年)から1977年(昭和52年)までの16年間に日本車両で総計14両が断続的に製造された。
車体
窓配置d2D(1)6(1)D2d(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)の両運転台式で、窓の上下に補強帯の露出はしない、ノーシル・ノーヘッダー構造の平滑な側板を備える。
側扉はキハ201 - 206が当時流行していた、薄い鋼板のプレス成形品を貼り合わせたプレスドア、207以降が通常構造のドアとなっており、いずれも片引戸で裾部が一段下がったステップ付き、側窓はキハ201 - 210が通常のアルミサッシ、キハ211以降の4両がユニットサッシとなっている。
妻面は中央に貫通扉を備える3枚窓構成で、オリジナルである国鉄キハ20形とは異なり、雨樋位置を引き上げた張り上げ屋根構成とされ、前照灯が中央1灯ではなく、曲線区間での照度確保などの見地から左右幕板部にシールドビームを振り分け配置としている。このため、設計当時親会社であった京成電鉄[1]の3100形などと類似の前面デザインとなっている。
通風器は押し込み式ベンチレーターが屋根上7か所に千鳥状に配置されている。なお、キハ204のみ異なる形状のベンチレーターに交換されている。
車内
座席は全てロングシートであるが、車体中央部にエンジンの排気管が立ち上がっており、その覆いが車内に突き出しているため、極端に長い座席という印象を抱かせない。
座席の色はほとんどがオレンジ系統の色であるが、キハ202だけは国鉄を思わせる青である。
およそ40kmにおよぶ比較的営業キロ数の長い路線を走行する車両であるにもかかわらず、在来車と同様、車内には便所は設置されていない。
2016年現在は全区間が車内禁煙であるが、かつて[いつ?]は上総牛久 - 上総中野間で喫煙ができた。喫煙ができた当時の名残で、車内の「禁煙」表示付近の「五井-上総牛久間」の表示がふさがれている。
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キハ203車内
車内中央部左右に排気管が見える
(2014年8月) -
キハ203車内プレート
「五井-上総牛久間」が「全区間」に変更されている
(2014年8月) -
キハ201車内プレート
「全区間」の表示の下に「五井-上総牛久間」と表記されていたのが確認できる
(2014年8月)
主要機器
駆動用機関は縦型の振興造機→神鋼造機DMH17Cディーゼルエンジン、変速機も同じく振興造機→神鋼造機製のTC-2液体式変速機、そして台車もDT22・TR51相当品と、設計当時に増備されていたキハ20形200番台に準じた機器が選択されている。保守部品を共通化し、機器取り扱いの統一を図るなどの見地から、これらを1977年の最終増備車まで一貫して採用し続けた。最終増備車は、完全新造の車両としては日本で最後にDMH17系エンジンを搭載して製造された車両である。これらのエンジンや変速機の大多数が、JR・私鉄を問わず大幅に淘汰された2016年時点でも、小湊鉄道における換装は実施されていない。
運用
キハ5800形が廃車となって以降は小湊鉄道唯一の定期列車用旅客車両形式として、同型車のみによる1 - 4両編成にて小湊鉄道線で運用されている。
1963年から1964年の夏期に運転された千葉 - 養老渓谷間の直通列車では、国鉄キハ20系をベースとした設計が役立ち、千葉 - 五井間の内房線(当時は房総西線)区間では国鉄気動車との併結で運転された実績がある。
五井機関区に配置され、2016年現在は保留車のキハ209を除く13両が運用されている。
なお、キハ209・210を除く12両が冷房化[2]されている。
小湊鐵道の2005年の[3]業務監査報告書によると、今後小湊鉄道ではワンマン運転の実施計画があるとされているが、その際の対応など本形式についての発表・言及はない[4]。
製造年一覧
車番 | 製造年 | ドア | 側面窓 |
---|---|---|---|
キハ201・202 | 1961年 | プレスドア | 非ユニットサッシ |
キハ203・204 | 1963年 | ||
キハ205・206 | 1964年 | ||
キハ207 - 210 | 1970年 | 非プレスドア | |
キハ211・212 | 1975年 | ユニットサッシ | |
キハ213・214 | 1977年 |