小林恒人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。世界平和 (会話 | 投稿記録) による 2022年9月17日 (土) 00:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

小林 恒人
こばやし つねと
生年月日 (1938-01-22) 1938年1月22日
出生地 日本の旗 北海道
没年月日 (2020-02-18) 2020年2月18日(82歳没)
死没地 日本の旗 北海道小樽市
出身校 川西農業高校
前職 国労札幌地方本部副委員長
所属政党 日本社会党
称号 従四位
旭日中綬章
配偶者

選挙区 旧北海道1区
当選回数 4回
在任期間 1980年 - 1993年
テンプレートを表示

小林 恒人(こばやし つねと、1938年1月22日 - 2020年2月18日)は、日本政治家衆議院議員(4期)。従四位

略歴

川西農業高校卒業後、国鉄釧路鉄道管理局に入局。のち国労札幌地方本部副委員長を務め、本籍地および住民票小樽市に移した。

島本虎三の勇退に伴い、1979年10月第35回衆議院議員総選挙日本社会党公認で北海道1区から立候補したが落選。翌1980年6月第36回衆議院議員総選挙で初当選を果たした。得票数は同じ北海道1区で立候補した社会党の現職、横路孝弘を上回った。1983年12月第37回衆議院議員総選挙1986年7月第38回衆議院議員総選挙1990年2月第39回衆議院議員総選挙でも再選された。

体調不良を理由に、1993年6月の衆議院解散と同時に引退し、地盤は小樽市議の池田隆一が継承した。1999年4月統一地方選挙では赤井川村長選挙に立候補するが次点で敗れた。2003年北海道知事選や衆院選では、鉢呂吉雄を全面的に支援した。2008年11月旭日中綬章を受章した。

2020年2月18日、肺炎のため死去。82歳没[1]。死没日をもって従四位に叙される[2]

脚注

  1. ^ “小林恒人氏が死去 元衆院議員”. 日本経済新聞. (2020年2月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56205980Y0A220C2CZ8000/ 
  2. ^ 『官報』第217号9頁 令和2年3月26日号